われらの世界
この項目では、1967年の国際共同制作テレビ番組について説明しています。1970年から1975年にNHKで放送されたドキュメンタリー番組については「70年代われらの世界」をご覧ください。 |
『OUR WORLD 〜われらの世界〜』(アワ・ワールド われらのせかい)は、1967年6月25日から26日にかけ放送された世界初の多元衛星中継のテレビ番組[注 1]である[1]。
概要
イギリス・英国放送協会(BBC)をキーステーションに、5大陸・14か国の放送局が参加。31地点を4個の衛星で結び、世界24カ国で中継放送された[2]。
BBCは当初、この番組を『80分世界一周旅行』というタイトルで衛星中継を使った紀行ものとして欧州放送連合(EBU)に提案した。しかし、番組の準備でEBUのスタッフがインドを訪れた時、人口増加と貧困・飢餓の現実を目にして企画を変更し、タイトルも『われらの世界』に変更した[3]。この番組はコマーシャルを入れない方針のため、アメリカの三大ネットワークは参加せず[注 2]、同国からは非商業教育テレビ局のNET(アメリカ教育テレビジョン、現:PBS=公共放送サービス)が参加することになった[5]。放送20日前の1967年6月6日に第3次中東戦争が勃発、戦争は6日間で終結したもののこの余波で6月21日にソビエト連邦・チェコスロバキア・ポーランド・東ドイツ・ハンガリーの東側諸国が参加を取り止めた。理由として「西側諸国の中にアラブ諸国を非難しているものがあり、『われらの世界』は人道主義的理想を失った」とソ連のタス通信が述べた[5][6]。
日本からは日本放送協会(NHK)が参加し、1967年6月26日の3時55分から6時3分(JST)にかけてNHK総合テレビで放送された[注 3][7]。日本での進行役は、当時NHKのアナウンサーだった宮田輝が務めた[8]。
参加放送局
国名 | 放送局 |
---|---|
オーストラリア | オーストラリア放送協会(ABC) |
オーストリア | オーストリア放送協会(ORF) |
カナダ | カナダ放送協会(CBC) |
デンマーク | デンマーク放送協会(DR) |
フランス | フランス放送協会(ORTF 現・フランス・テレビジョン) |
イタリア | イタリア放送協会(RAI) |
日本 | 日本放送協会(NHK) |
メキシコ | テレシステマ・メヒカーノ(TSM)(現・テレビサ) |
スペイン | テレビシオン・エスパニョーラ(TVE) |
スウェーデン | スウェーデン・ラジオ(SR) |
チュニジア | ラジオテレビ・チュニジア(RTT 現・チュニジアテレビ放送公社) |
イギリス | 英国放送協会(BBC) |
アメリカ | アメリカ教育テレビジョン(NET 現・公共放送サービス) |
西ドイツ | ドイツ公共放送連盟(ARD) |
テーマ
この番組は6つのテーマによって番組が成り立っていた。
- 赤ちゃん誕生
- 最初に、札幌の北海道大学病院での新生児の出産が取り上げられた[9][注 4]。その他、デンマークのオーフス、メキシコシティ、カナダのエドモントンでも中継された[11]。
- 世界のこの瞬間
- 中継地点はオーストリア・リンツの製鉄所、パリのヘリコプターからの眺め、チュニジアの首都チュニス、スペイン南部の漁港ウエルバ、米ソ首脳会談中のアメリカ・ニュージャージー州・グラスボロ(Glassboro)の州立大学の学長公邸、カナダ・ゴーストレイク(Ghost Lake)の牧場、バンクーバーの海岸、東京・三田の地下鉄工事現場、メルボルン[12]。
- 過密世界
- 中継地点はニューヨーク、キャンベラの食糧問題研究所、アメリカ中北部のウィスコンシン州、高松の海老養殖場、モントリオールの万国博覧会の様子、スコットランドの農場[13]。
- 健全な肉体を求めて
- 当時のバタフライ世界記録保持者であるカナダのエレイン・タナー(Elaine Tanner)、イタリアの障害馬術選手ディンツェア兄弟、スウェーデンのカヌー選手が記録に挑戦する姿、実験海中住宅をフランスマルセイユ沖に沈める様子を取り上げた[14]。
- 芸術の追求
- サン・ピエトロ大聖堂で『ロミオとジュリエット』の映画撮影の様子、西ドイツのバイロイト祝祭劇場でオペラ『ローエングリン』第2幕のリハーサルの様子、フランスのサン=ポール=ド=ヴァンスの美術館でアレクサンダー・カルダーとジョアン・ミロが出演、メキシコシティで音楽番組の収録の様子、ニューヨークのリンカーン・センターでレナード・バーンスタインとヴァン・クライバーンがリハーサルをしている様子、ビートルズがレコーディングをしている様子を取り上げた[15]。
- 「イギリス代表」として出演したビートルズは、ロンドンのEMIレコーディング・スタジオにて当時の未発表曲である「愛こそはすべて」のレコーディング・セッションを6分間にわたり披露した[注 5][16]。このセッションにはほかにもフェデリコ・フェリーニ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、マリアンヌ・フェイスフル、キース・ムーン、グラハム・ナッシュなどが参加した。
- 宇宙のかなたへ
- 最後に、ケープ・ケネディ基地の様子、オーストラリアのパークス天文台の巨大な電波望遠鏡を取り上げて終了する[17]。
当初はこれに「世界の食糧」を加えた7つのセクションで放送する予定だったがカットされ、このセクションで取り上げる予定のものは「過密世界」に組み込まれた[16]。
参考文献
- 日本放送協会総合放送文化研究所 放送史編修室 編『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年9月15日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2474365。
- 日本放送出版協会 編『「放送文化」誌に見る昭和放送史』日本放送出版協会、1990年。
- 日本放送協会 編『20世紀放送史 上』日本放送出版協会、2001年。
- 大村亨『「ビートルズ」と日本 ブラウン管の記録 - 出演から関連番組まで、日本のテレビが伝えたビートルズのすべて-』シンコーミュージック・エンタテイメント、2017年。ISBN 978-4-401-64445-2。
脚注
注釈
出典
- ^ ビートルズ、236頁
- ^ 20世紀放送史 上、556頁
- ^ 20世紀放送史 上、556-557頁
- ^ “サンデー・スコープ:地球を包む宇宙中継”. 読売新聞: p. 21. (1967年6月4日)
- ^ a b 20世紀放送史 上、557頁
- ^ “ソ連、番組参加を拒否 世界一周のテレビの中継”. 朝日新聞: p. 14. (1967年6月22日)
- ^ “番組表検索結果詳細 宇宙中継「われらの世界」 —OUR WORLD—〜5大陸14か国を結んで〜”. NHKクロニクル. 日本放送協会. 2017年11月11日閲覧。
- ^ NHK年鑑'68、170頁
- ^ 「NHKジャーナル UHF好調,親局も使用可能」『放送教育』第22巻第6号、日本放送教育協会、1967年9月1日、19頁、NDLJP:2341277/10。
- ^ NHK札幌放送局/編集『札幌とともに半世紀 NHK札幌放送局のあゆみ』1984年、82-83頁。
- ^ 放送文化、216-217頁
- ^ 放送文化、217-218頁
- ^ 放送文化、218-219頁
- ^ 放送文化、219-220頁
- ^ 放送文化、220頁
- ^ a b ビートルズ、238頁
- ^ 放送文化、221頁
外部リンク
- 宇宙中継 われらの世界 - NHK放送史
- 表示
- 編集