アイアーシャーレ

アイアーシャーレは、1977年以来ベルリン・ダーレム地区の人気ジャズクラブである
アイアーシャーレは、1977年以来ベルリン・ダーレム地区の人気ジャズクラブである

アイアーシャーレ (Die Eierschale) は、ドイツベルリンダーレム地区(ドイツ語版)シュテーグリッツ=ツェーレンドルフ区)のレストラン、伝統あるジャズクラブである。店名は「卵の殻」の意。地下鉄(Uバーン)のポドビエルスキアレー駅(ドイツ語版)至近で、建物は元の立派な邸宅である。

同じ名前、もしくは「アイアーシャーレ2」という名の居酒屋が、1980年代にクーアフュルステンダム(ドイツ語版)ランケ通り(ドイツ語版)の角、カイザー・ヴィルヘルム記念教会の隣にあった。

東ドイツ平和的な政治変革が起きた後、居酒屋ツェンナーという伝統的なスタイルの居酒屋がトレプトウ公園(ドイツ語版)に開店した。これは以前「アイアーシャーレ3」と言われていたこともあるが、今日では「アイアーシャーレ・ツェンナー (Eierschale Zenner)」と改名している[1]

歴史

アイアーシャーレは、元々はトランペット奏者で『シュプレー・シティ・ストンパーズ (Spree City Stompers)』のハーヴェ・シュナイダー(ドイツ語版)によって始められたものである。

1952年から1953年にかけて戦後、廃墟となっていたシェーネベルク市庁舎(ドイツ語版)の地下室で、「船室」(Kajüte) という名のジャズクラブを始めた。

ところが当局が倒壊の危険のため地下室を閉鎖するにあたり、酒場は1958年にブライテンバッハ広場(ドイツ語版)に移転し、そこで「アイアーシャーレ」と改名することになった[2]

ルイ・アームストロングデューク・エリントンエラ・フィッツジェラルドのようなジャズの大物たちが、このクラブを訪問して出演した。

1960年代の末にシュナイダーはアイアーシャーレを売却し、また家賃の高騰により1977年にダーレム地区に移転した[3]。2000年12月、ダーレムの店は閉店[4]。2005年10月、店はジャズクラブから飲食店に営業形態を変更することを告知[5]

2008年6月1日、アイアーシャーレが再開した[6]。店ではジャズバンドと並んで、ソウルポップミュージック、ディスコ、ファンクなど1970年代から1980年代の音楽もレパートリーにする「ビーストとジェントル (Beast and Gentle)」のようなショーバンドも出演するようになった[7]

脚注

  1. ^ Christian van Lessen: Dahlemer Eierschale: Nicht mehr angeknackst. In: Der Tagesspiegel, 7. April 2008
  2. ^ "Hommage an die Kellerkinder 1955–1972: Sitemap – History". eierschale-berlin.de. 2012年9月12日閲覧
  3. ^ Angelika Köhler: Im Jazzkeller tanzte man den „Rühr-Stil“. In: Berliner Zeitung, 31. Dezember 1999
  4. ^ As Time goes by … In: Der Tagesspiegel, 14. Dezember 2000
  5. ^ Linda Paczkowski: Sanierungsbeginn am Restaurant Eierschale. In: Berliner Morgenpost, 22. Oktober 2005
  6. ^ Matthias Raabe: Die Eierschale kommt zurück. In: Berliner Zeitung, 27. Mai 2008
  7. ^ Tanz: Wild und sanft in der „Eierschale“. In: Berliner Morgenpost, 16. Juli 2011

外部リンク

  • Eierschale Dahlem
  • Eierschale Zenner
  • Hommage an die Kellerkinder 1955–1972