クタンス水路橋

クタンス水路橋
J.フェラデッサンによる版画(1870年頃)[1]
基本情報
フランスの旗 フランス
所在地 マンシュ県クタンス
設計者
施工者
Famille noble
建設 1277年
座標 北緯49度3分5.54秒 東経1度27分5.99秒 / 北緯49.0515389度 東経1.4516639度 / 49.0515389; 1.4516639
構造諸元
形式 水路橋アーチ橋
材料
全長 240 m
高さ 125 m
地図
クタンス水路橋の位置(イギリス海峡内)
クタンス水路橋
関連項目
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地図
地図

クタンス水路橋 (クタンスすいろきょう)(Aqueduc de Coutances) は、フランスノルマンディー地域圏マンシュ県にあるアーチ構造水路橋13世紀から14世紀にかけて、クタンスのドミニコ会修道院と市街地への給水目的で建設された。

この橋は17世紀まで使用されたが、現在は廃墟となっており、残存している3つのアーチ部分は1840年にフランスの歴史的記念物に指定されている。

歴史

18世紀の研究者、ルイ・フランソワ・ド・フォンテーヌ (フランス語版)と、シャルル・ド・ジェルヴィル(フランス語版)によると、この橋は最初ガロ・ローマ時代の皇帝、コンスタンティウス・クロルスの指示によって296年に建造されたが、866年ヴァイキング襲撃によって破壊されたとしている[2]。しかし、この仮説を裏づける証拠は残っていない。現在観られる橋は古いアングロノルマン(英語版)系のペネル総督の主導によって建造されたとしている[3]。フィリップ3世の詔書によると[4]、レクランデリーの湧水から汲み上げた水をブリュイザール渓谷を経てドミニコ会修道院と市街地に運ぶための橋の建設が1277年に定められた[5]16世紀クタンス教区(フランス語版)ロベール・セノー司教(フランス語版)は著書『ガリアの歴史』のなかで以下のように書いている。

水は地下部分を経たあと地面から立ち上がります。全幅240メートルある地上部分は3つの部位に分かれており、水ははじめ壁の上を通って16のアーチで構成される第2の部位でブルーザール渓谷を渡り、再び壁の上を通ります[5]

これらのアーチのうち5個所は半円形アーチで、11個所は尖頭アーチとなっている。この橋はおそらくサイフォンの原理を利用しており、給水管を通った水は海抜125メートルから53メートルまで下り、ふたたび92メートルまで昇る[5]。給水先のドミニコ会修道院はユグノーによって焼かれたが、1313年1566年に修復されている[5]。橋は17世紀まで使用されたが、年月の経過とともに著しく荒廃が進んだ。作家のアドルフ・ジョアン(フランス語版)は、1867年に橋の16あるアーチのうち11のアーチが破壊され、市街地側から2番目のアーチには1595年と刻まれていると述べた[2]。現在、クタンス水路橋は3つのアーチ部分のみが残存している。

保護運動

クタンス水路橋はフランスの歴史的記念物として1840年に保護された歴史的記念物(フランス語版)に指定された。1939年8月10日の法令で道路と水路橋の間と橋沿いの幅25メートルの帯状区域が追加指定された[6]

橋の構造

以下、橋の構造を図解する。凡例を参照。長さの単位はトワーズで、1トワーズは約1.949メートルである。

クタンス水路橋の構造
クタンス水路橋の構造
  1. 市街側の第1の門
  2. 第2の門
  3. 第3の門
  4. 間道
  5. 土地の分離溝
  6. 西側の石
  7. 橋脚と隣接する柱の平面図
  8. 崩落したひとつの門に隣接する柱の正面図
  9. 隣接する柱
  10. 門の立面・側面・断面

  1. 水路橋の下に給水管を設置するための部位とくぼみ
  2. 給水管が開いた時に排水するための側溝(開いたものか破損したものかは不明)
  3. 欄干の外観
  4. 石。西側の6番目と7番目のアーチの間の柱は喪失
  5. 側面から見た隣接した柱
  6. 尖頭アーチ
  7. 半円アーチ
  8. リンゴの木が植えられた土地
  9. 牧草地と深い渓谷

ギャラリー

  • 1905年以前の古写真
    1905年以前の古写真
  • 南のサン=マロ通り(フランス語版)2012年撮影
    南のサン=マロ通り(フランス語版)2012年撮影
  • 南側
    南側
  • 北側の尖頭アーチ部分
    北側の尖頭アーチ部分

脚注

  1. ^ ルイ・フィギエ著『産業の驚異』より
  2. ^ a b (Joanne 1867).
  3. ^ (Renault 1852, p. 630-712).
  4. ^ (Pigeon 1899, p. 121).
  5. ^ a b c d (James-Raoul 2006, p. 80-82)
  6. ^ Base POP Mérimée|PA00110374.

参考文献

  • “Revue monumentale et historique de l'arrondissement de Coutances”. Annuaire du département de la Manche. 24. (1852) 
  • Adolphe Joanne, Adolphe (1867). Hachette. ed. La Normandie 
  • Léopold Quénault (1877). Mémoire sur l'aqueduc de Coutances. II. p. 335-338 
  • Émile-Auber Pigeon (1899). “L'aqueduc de Coutances”. In Lemale & Cie. La Normandie monumentale et pittoresque, édifices publics, églises, châteaux, manoirs, etc.. 1re partie. Le Havre. p. 121-122. Pigeon, 1899 .
  • Eugène Lefèvre-Pontalis (1909). “Coutances : Aqueduc”. In Société française d'archéologie. Paris/Caen 
  • Presses de l'université Paris-Sorbonne (PUPS), ed (2006). Les Ponts au Moyen Âge. Paris. ISBN 978-2-84050-373-6 

関連項目

  • アーチ橋
  • マンシュ県の歴史的記念物のリスト(フランス語版)
  • クタンスの歴史的記念物のリスト(フランス語版)

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、クタンス水路橋に関するカテゴリがあります。
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