シェーン・デニス
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カンザス州バーボン郡フォート・スコット |
生年月日 | (1971-07-03) 1971年7月3日(53歳) |
身長 体重 | 190 cm 91 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1994年 MLBドラフト7巡目 |
初出場 | NPB/1997年4月8日 |
最終出場 | NPB/1997年10月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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シェーン・リロイ・デニス(Shane Leroy Dennis , 1971年7月3日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手。(投手)[1]。
来歴・人物
ウィチタ州立大学から1994年にサンディエゴ・パドレスに入団。1997年にジェイソン・トンプソンと共に伊良部秀輝とのトレードで千葉ロッテマリーンズへ入団。(のちに伊良部はニューヨーク・ヤンキースへ移籍)
前年度まで先発投手陣の一角として活躍したエリック・ヒルマンが読売ジャイアンツへ移籍したため、彼に代わる同期入団のマイク・フィアリーと共にローテーション入りを期待されるも、14試合を投げ未勝利と完全に期待を裏切ってしまった。1年限りでフィアリーは退団したが、デニスは貴重な左腕ということもあって残留となった。
翌1998年は期待外れに終わった助っ人2投手に代わる先発候補として左腕のジョー・クロフォード、更にリリーフとしてスコット・デービソンを獲得したことから外国人選手枠の関係で二軍スタート。後にデービソンは故障するも、球団は台湾からブライアン・ウォーレンを獲得するなど、チーム事情もあり、チャンスが巡って来なかった。 結局一軍で登板する機会が無かったことや、クロフォード、ウォーレンの残留が決まったことで、この年限りで解雇となり退団した。
チェンジアップ、カーブ、スライダーを武器としていた。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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1997 | ロッテ | 14 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | -- | .000 | 148 | 33.0 | 23 | 4 | 29 | 0 | 1 | 36 | 0 | 1 | 21 | 20 | 5.45 | 1.58 |
通算:1年 | 14 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | -- | .000 | 148 | 33.0 | 23 | 4 | 29 | 0 | 1 | 36 | 0 | 1 | 21 | 20 | 5.45 | 1.58 |
記録
- NPB
背番号
- 37 (1997年 - 1998年)
関連項目
脚注
- ^ ウェイン・グラシック『1998 JAPAN PRO BASEBALL - 英語版 日本プロ野球メディアガイド』日本洋書販売、1998年
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