タワー・ヒル

タワー・ヒル
タワー・ヒルの位置(グレーター・ロンドン内)
タワー・ヒル
タワー・ヒル
グレーター・ロンドンにおけるタワー・ヒルの位置
英式座標
TQ333806
チャリング・クロス2 mi (3.2 km) W
ロンドン
特別区
セレモニアル
カウンティ
グレーター・ロンドン
リージョン
構成国イングランドの旗 イングランド
イギリスの旗 イギリス
郵便地域LONDON
郵便番号EC3
市外局番020
警察メトロポリタン
消防ロンドン
救急医療ロンドン
欧州議会ロンドン
英国議会
  • ポプラー&ライムハウス (Poplar and Limehouse
ロンドン議会
  • シティ・アンド・イースト
場所一覧
イギリス
イングランド
ロンドン
北緯51度30分31秒 西経0度04分42秒 / 北緯51.5085度 西経0.0782度 / 51.5085; -0.0782座標: 北緯51度30分31秒 西経0度04分42秒 / 北緯51.5085度 西経0.0782度 / 51.5085; -0.0782
1561年頃のウッドカット・マップ(英語版)に見られるタワー・ヒル

タワー・ヒル: Tower Hill)は、ロンドン塔の北西部にある小高い丘で[1]シティ・オブ・ロンドンのすぐ外、タワーハムレッツ区に位置する。

以前は「グレート・タワー・ヒル」(: Great Tower Hill)と呼ばれる外教区地区[訳語疑問点] (extra-parochial areaだった。この地区では、歴史上数多の公開処刑が行われてきたが、現在では戦争祈念施設タワー・ヒル・メモリアル(英語版)が位置することで有名である。

地区にはタワー・ゲートウェイ駅(英語版)タワー・ヒル駅などがある。タワー・ヒルの名前が付いた通りは、A3211 (enの一部で、西側にはバイワード・ストリート(英語版)が続いている。また東側には、マイナリーズ(英語版)との交差点を挟んで、タワー・ヒル・テラス(: Tower Hill Terrace)が続いている。

歴史

1685年にタワー・ヒルで行われた、ジェイムズ・スコットの処刑を描いたポピュラー・プリント(英語版)
タワー・ヒルの断頭台跡地

設置

タワー・ヒルはロンドンの中でも最も古い地区の一つで、考古学的証拠から、青銅器時代には定住者がいたことや、その後のブリタンニア時代に、地区がブーディカの反乱により焼き払われたことが分かっている。近くに位置する教会、オール・ハロウズ・バイ・ザ・タワー(英語版)[注 1]は、680年まで遡ることのできる断片的なロマネスク建築で知られている。教会自体の建立は675年である。

地元政府

グレート・タワー・ヒルはロンドン塔特別行政区(英語版)(タワー・リバティ)に含まれる外教区地区[訳語疑問点] (extra-parochial areaで、行政上はロンドン塔に直轄されていた。同時に、シティ・オブ・ロンドンミドルセックス州の管轄からは外れていた。1855年には、地区は Metropolitan Board of Works[注 2]の管区の一部に組み込まれた。「タワー・ディストリクト」(: The "District of Tower")は、続いてホワイトチャペル・ディストリクト(英語版)に組み込まれ、ホワイトチャペル・ディストリクト・ボード・オブ・ワークス[注 3]の管轄下に置かれた。この管轄移行には曖昧な部分が残り、1869年グレート・タワー・ヒル条例(: The Great Tower Hill Act 1869)では、タワー・ヒル地区が、グレート・タワー・ヒル内のオールド・タワー・ウィザウト(英語版)を成すことの明示が求められた[5]。タワー・リバティは1894年に廃止され、地区はカウンティ・オブ・ロンドン(英語版)に編入された。

処刑地としての歴史

タワー・ヒルでは、反逆者や罪人の死刑が度々行われていた。処刑された人々には以下の人物が含まれる。

  • 1381 – サイモン・サドベリー(英語版)カンタベリー大主教[6](激怒した暴徒によって斬首された)
  • 1381年 – ロバート・ヘイルズ (Robert Hales[6]
  • 1388年 – サイモン・ド・バーリー(英語版)[6]
  • 1388年 – ジョン・ド・ビーチャム (初代ビーチャム男爵)(英語版)(ビーチャム男爵第4期)
  • 1397年 – リチャード・フィッツアラン、第11代アランデル伯爵[6]
  • 1440年 – リチャード・ウィチェ[注 4]デトフォード(英語版)教会区司祭[6]
  • 1462年 – ジョン・ド・ヴィアー(英語版)、第12代オックスフォード伯爵[6]
  • 1462年 – オーブリー・ド・ヴィアー、第12代オックスフォード伯ジョン・ド・ヴィアーの長男
  • 1462年 – トーマス・トデナム(英語版)
  • 1462年 – ウィリアム・ティレル[注 5]
  • 1462年 – ジョン・モンゴメリー[注 6]
  • 1470年 – ジョン・ティプトフト(英語版)、初代ウスター伯爵(英語版)[6]
  • 1495年 – ウィリアム・スタンリー(英語版)[7]
  • 1497年 – ジェームズ・タチェット (第7代オードリー男爵)(英語版)[7]1497年コーンウォール反乱(英語版)の指揮官
  • 1499年 – エドワード・プランタジネット、第17代ウォリック伯爵[7]
  • 1502年 – ジェームズ・ティレル
  • 1510年 – エドマンド・ダドリー(英語版)
  • 1510年 – リチャード・エンプソン(英語版)
  • 1521年 – エドワード・スタッフォード、第3代バッキンガム公爵[7]
  • 1535年 – ジョン・フィッシャーロチェスター教区(英語版)司教[7]
  • 1535年 – トマス・モア[7]、元大法官
  • 1536年 – ジョージ・ブーリンアン・ブーリンの兄
  • 1537年 – トーマス・ダーシー (初代ダーシー・ド・ダーシー男爵)(英語版)[7]
  • 1538年 – ヘンリー・コートネイ(英語版)デヴォン伯爵(英語版)[8]
  • 1538年 – エドワード・ネヴィル
  • 1540年 – トマス・クロムウェル、初代エセックス伯爵[8]
  • 1547年 – ヘンリー・ハワード (サリー伯)[8]
  • 1552年 – Ralph Vane[注 7]
  • 1552年 – トーマス・アランデル・オブ・ウォーダー・キャッスル(英語版)
  • 1552年 – エドワード・シーモア、初代サマセット公爵[8]
  • 1554年 – トマス・ワイアット[8]、「ワイアットの乱」の首謀者、同名の父は外交官・詩人
  • 1554年 – ギルフォード・ダドリー
  • 1572年 – トマス・ハワード、第4代ノーフォーク公爵[8]
  • 1601年 – クリストファー・ブラント(英語版)
  • 1615年 – ジャーヴァス・ヘルウィス(英語版)
  • 1631年 – メルヴィン・タチェット(英語版)、第2代キャッスルヘイヴン伯爵(英語版)
  • 1641年 – トマス・ウェントワース、初代ストラフォード伯爵[8]
  • 1645年 – ウィリアム・ロードカンタベリー大主教[12]
  • 1651年 - クリストファー・ラヴ(英語版)長老派教会
  • 1662年 – ヘンリー・ベイン[12]
  • 1683年 – アルジャーノン・シドニー[12]
  • 1685年 – ジェイムズ・スコット (初代モンマス公爵)[12]
  • 1716年 – ジェームズ・ラドクリフ、第3代ダーウェントウォーター伯爵(英語版)[12]
  • 1746年 – ウィリアム・ボイド(英語版)、第4代キルマーノック伯爵(英語版)
  • 1746年 – ロバート・ボイド[注 8]スコットランドの氏族の一、ボイド氏族(英語版)
  • 1747年 – サイモン・フレイザー (第11代ラヴァト卿)[12]
  • 断頭台跡地にある処刑者名の一覧
  • Sign at site of the scaffold (2)
    Sign at site of the scaffold (2)
  • Sign at site of the scaffold (3)
    Sign at site of the scaffold (3)
  • Sign at site of the scaffold (4)
    Sign at site of the scaffold (4)
  • Sign at site of the scaffold (5)
    Sign at site of the scaffold (5)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ : All Hallows-by-the-Tower. 意味は「塔の脇の全聖人教会」。
  2. ^ 「首都土木局」[2]、「都市作業委員会」[3]、「首都圏建設委員会」[4]などの訳語が見られる。
  3. ^ : "the Whitechapel District Board of Works". 日本語での定訳は不明。
  4. ^ : Rev. Richard Wyche
  5. ^ : William Tyrrell
  6. ^ : John Montgomery
  7. ^ 英語の "Ralph" という男性名には、「ラルフ」・「レイフ」双方の読みがある[9]ラルフ・ローレンレイフ・ファインズのように、同じスペルでも発音にはバリエーションがあり、文面だけではどちらが正しいか判別できない。また英国人名辞典では "Fane" の欄に記述があり[10]、さらには父親の名字も元は "Fane" だったと記載されている[11]。このことから、彼の名字は、ドイツ語などのように "V" を "F" の発音で読み、「フェイン」とする可能性がある。いずれにしろここでははっきりと日本語転記を確定させることができない。
  8. ^ : Robert Boyd

出典

  1. ^ Wheatley, Henry Benjamin; Cunningham, Peter (1891). “Tower Hill”. London Past and Present. vol. 3. London: John Murray. pp. 400–402. https://books.google.co.jp/books?id=QKYPAAAAYAAJ&pg=400&redir_esc=y&hl=ja 
  2. ^ 小川眞里子「19世紀イギリスの衛生学の展開と病原菌」(PDF)、2016年5月18日閲覧 
  3. ^ CLAIR(クレア)一般財団法人自治体国際化協会「英国の地方自治」(PDF)2003年1月、2016年5月18日閲覧 
  4. ^ 松浦愛子「ヴィクトリア朝劇場空間統制のポリティクス -「群衆」から「市民」へ」(PDF)『ヴィクトリア朝文化研究』第11号、2016年5月18日閲覧 
  5. ^ The Statutes of the United Kingdom of Great Britain and Ireland, Great Britain, His Majesty's Statute and Law Printers, (1869)
  6. ^ a b c d e f g Sign at site of the scaffold (2)
  7. ^ a b c d e f g Sign at site of the scaffold (3)
  8. ^ a b c d e f g Sign at site of the scaffold (4)
  9. ^ 小西友七; 南出康世 (25 April 2001). ジーニアス英和大辞典. ジーニアス. 東京都文京区: 大修館書店 (published 2011). ISBN 978-4469041316. OCLC 47909428. NCID BA51576491. ASIN 4469041319. 全国書誌番号:20398458。
  10. ^  Lee, Sidney, ed. (1899). "VANE, SIR RALPH (d.1552)". Dictionary of National Biography (英語). Vol. 58. London: Smith, Elder & Co. p. 128. 2016年5月20日閲覧
  11. ^  Stephen, Leslie, ed. (1889). "FANE or VANE, SIR RALPH (d.1552)". Dictionary of National Biography (英語). Vol. 18. London: Smith, Elder & Co. p. 192. 2016年5月20日閲覧
  12. ^ a b c d e f Sign at site of the scaffold (5)

外部リンク

ポータル イギリス
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典拠管理データベース ウィキデータを編集
  • VIAF