ナータン・セーデルブロム
Nathan Söderblom ナータン・セーデルブロム | |
---|---|
スウェーデン首座主教 | |
教会 | スウェーデン国教会 |
教区 | ウプサラ |
選出 | 1914年5月20日 |
前任 | Johan August Ekman |
後任 | Erling Eidem |
個人情報 | |
本名 | Lars Olof Jonathan Söderblom |
出生 | (1866-01-15) 1866年1月15日 スウェーデン イェヴレボリ県 |
死去 | 1931年7月12日(1931-07-12)(65歳没) スウェーデン ウプサラ |
国籍 | スウェーデン |
出身校 | ウプサラ大学 |
テンプレートを表示 |
|
ナータン・セーデルブロム(Nathan Söderblom、1866年1月15日 - 1931年7月12日)は、スウェーデン国教会の聖職者でウプサラの大監督 (en) である。1930年にノーベル平和賞を受賞した。ルーテル教会の聖人暦では7月12日である。
セーデルブロムはイェヴレボリ県の農家で生まれた。父は聖職者としてキリスト教を深く信仰していたが、個人的な幸福を強く願っていた。セーデルブロムは1883年にウプサラ大学に入学したが、やりたいことが見つからなかったため、父を継ぐことにした。アメリカ合衆国から帰国すると、1893年に聖職者に任じられた。
1892年から1893年にかけて、ウプサラ大学生徒会の初代副会長と会長を務めた。
1912年、セーデルブロムはライプツィヒ大学の宗教学の教授となった。しかし1914年には大監督に任じられて、職を辞した。1921年にスウェーデン・アカデミーの終身会員となった。
セーデルブロムは1920年代に起こったキリスト教徒の「生活と仕事」運動を指導し、エキュメニズム運動の元祖とみなされるようになった。
主な著書
- Gudstrons uppkomst, 1914.
(ドイツ語訳)Das Werden des Gottesglaubens, Untersuchungen über die Anfänge der Religion, 1916-1926.
(日本語訳)ゼェデルブローム『神信仰の生成 宗教の発端に関する研究』三枝義夫訳、1942
- 表示
- 編集
ノーベル平和賞受賞者 (1926年-1950年) | |
---|---|
アリスティード・ブリアン / グスタフ・シュトレーゼマン (1926) - フェルディナン・ビュイソン / ルートヴィッヒ・クヴィデ (1927) - フランク・ケロッグ (1929) - ナータン・セーデルブロム (1930) - ジェーン・アダムズ / ニコラス・バトラー (1931) - ラルフ・ノーマン・エンジェル (1933) - アーサー・ヘンダーソン (1934) - カール・フォン・オシエツキー (1935) - カルロス・サアベドラ・ラマス (1936) - ロバート・セシル (1937) - ナンセン国際難民事務所 (1938) - 赤十字国際委員会 (1944) - コーデル・ハル (1945) - ジョン・モット / エミリー・グリーン・ボルチ (1946) - アメリカ・フレンズ奉仕団 / イギリス・フレンズ協議会 (1947) - ジョン・ボイド・オア (1949) - ラルフ・バンチ (1950) |