ハロルド・バティスト

ハロルド・バティスト
Harold Battiste
ハロルド・バティスト (2012年)
基本情報
出生名 Harold Raymond Battiste Jr.
生誕 (1931-10-28) 1931年10月28日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没 (2015-06-19) 2015年6月19日(83歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ
ジャンル R&Bジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 サクソフォーンピアノ
活動期間 1957年 - 2015年

ハロルド・レイモンド・バティスト・ジュニア (Harold Raymond Battiste Jr., 1931年10月28日 - 2015年6月19日 [1]) は、米国の作曲家、編曲家、音楽パフォーマー、教育者であった。ニューオーリンズの出身で後のコミュニティのリーダーともなった彼は、バーバラ・ジョージ、サム・クック、ジョー・ジョーンズ、リー・ドーシーソニー&シェールドクター・ジョン、その他多くのアーティストのレコードにおける編曲者として知られている。

来歴

バティストは米国のルイジアナ州ニューオーリンズに生まれ、市内のマグノリア公営住宅で育った[1]。彼はディラード大学に進学し、1953年に音楽学で学士号を取得。熟練したサクソフォーン奏者、ピアニスト、編曲家になった。彼は在学中に自身の最初のグループをクラリネット奏者のアルヴィン・バティスト、ドラマーのエドワード・ブラックウェルと結成した[2]

彼のスタジオ編曲家としての最初の成功は、1957年に担当したサム・クックの「ユー・センド・ミー」だった[3]1961年には、アフリカ系アメリカ人が米国南部で興した初のレーベル、AFOレコード (AFOはall for one=全てはひとつのためにの意)を立ち上げている[4]。同レーベルでは、設立から数か月後にはバーバラ・ジョージの「アイ・ノウ (ユー・ドント・ラヴ・ミー・ノー・モア)」で100万枚を売り上げるヒットを記録している[5]。またこのレーベルでは、エリス・マルサリス (シニア)のファースト・アルバム『The Monkey Puzzle』をリリースした。バティストのその他プロデューサー、スタジオ、映画、舞台、テレビの編曲家としての仕事にはジョー・ジョーンズの「ユー・トーク・トゥー・マッチ」、リー・ドーシーの「ヤ・ヤ」、ソニー&シェールの「アイ・ガット・ユー・ベイブ」などがある[3]。バティストはまたニューオーリンズのアーティスト、マック・レベナックをドクター・ジョンとして世に紹介し、彼の初期のアルバムをプロデュースした[4]

バティストは30年間をロサンゼルスにて過ごし、その間15年に渡るソニー&シェールとの仕事を通じて6つのゴールドディスクを獲得、また彼らのテレビ・シリーズで音楽監督を務めている。彼はまた、トム・ウェイツのアルバム『ブルー・ヴァレンタイン』(1978年)の楽曲「墓場からの口笛 (Whistlin' Past The Graveyard)」および「かわいい小さな弾丸 (A Sweet Little Bullet from a Pretty Blue Gun)」でピアノを弾いており[6]グラム・パーソンズの1973年のアルバム『GP』ではバリトン・サクソフォーンで参加している[7]

バティストはいくつかの大学で教鞭をとっており、1989年にはエリス・マルサリス・Jr.とともにニューオーリンズ大学ジャズ研究学部に参加した[8]。彼はまた、ニューオーリンズ音楽の文化遺産と音楽家の認知向上、継続、記録を目的とした非営利団体AFOファウンデーションを設立した[5]

バティストはニューオーリンズのコミュニティにおいて精力的に活動した。コンゴ・スクウェア文化共同体 (Congo Square Cultural Collective)、ルイジアナ州音楽委員会 (Louisiana State Music Commission)、ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・ファウンデーション (New Orleans Jazz & Heritage Foundation)、ルイジアナ・ジャズ連盟 (Louisiana Jazz Federation)、アフリカ文化基金 (African Cultural Endowment)を含む数多くの文化団体において役員を務めた。彼はボウ芸術賞(Beau Arts Award)、市長芸術賞 (Mayor's Arts Award)、州知事芸術生涯功労賞 (Governor's Arts Lifetime Achievement Award)など数々の賞を受賞している。1988年にはニューオーリンズ市が彼の誕生日を「ハロルド・バティスト・デイ」に制定した。2010年には、ヒストリック・ニューオーリンズ・コレクションが彼の自伝『Unfinished Blues』を出版した[5]

健康状態が悪化していたバティストは、2015年6月19日、83歳で死去した[9]

参考文献

  • Battiste, Harold Jr. (2010). Unfinished Blues...Memories of a New Orleans Music Man. The Historic New Orleans Collection. ISBN 978-0917860553 

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b Roberts, Sam (2015年6月25日). “Harold Battiste, Musician, Mentor and Arranger, Dies at 83”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2015/06/26/arts/music/harold-battiste-musician-mentor-and-arranger-dies-at-83.html 2016年2月5日閲覧。 
  2. ^ Sinclair, John (1994年4月). “Harold Battiste: Prophet with Honor in His Own Land”. Radio Free Amsterdam. 2015年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月19日閲覧。
  3. ^ a b Smith, Tod (2 November 2003). “A Brief History of Modern Jazz in New Orleans”. All About Jazz. http://www.allaboutjazz.com/php/article.php?id=780. 
  4. ^ a b Reid, Molly (2008年6月20日). “Tribute scheduled for Harold Battiste Jr.”. The Times-Picayune. http://blog.nola.com/mollyreid/2008/06/a_living_legend.html 
  5. ^ a b c Skelly, Richard. “Harold Battiste, Jr. Biography”. AllMusic. 2015年6月22日閲覧。
  6. ^ “Blue Valentine - Tom Waits | Credits”. AllMusic. 2021年8月14日閲覧。
  7. ^ “GP - Gram Parsons | Credits”. AllMusic. 2021年8月14日閲覧。
  8. ^ Undergraduate/Graduate Catalog 2005-2006. 41. University of New Orleans. (August 2005). p. 12. http://www.uno.edu/registrar/registrar-docs/0506catalog.pdf. 
  9. ^ Spera, Keith (2015年6月19日). “Harold Battiste, New Orleans saxophonist, composer and educator, dies at 83”. The Times-Picayune. http://www.nola.com/music/index.ssf/2015/06/harold_battiste_dies.html 

外部リンク

  • A.F.O. Album Discography (英語)
  • ハロルド・バティスト - Discogs (英語)
  • ハロルド・バティスト - IMDb(英語)
  • Harold R. Battiste Papers at The Historic New Orleans Collection (英語)
  • The AFO Foundation (英語)
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