フランソワ=エドゥアール・ピコ
フランソワ=エドゥアール・ピコ François-Édouard Picot | |
---|---|
誕生日 | 1786年10月17日 |
出生地 | フランス, パリ |
死没年 | 1868年3月15日 |
死没地 | フランス,パリ |
テンプレートを表示 |
フランソワ=エドゥアール・ピコ (François-Édouard Picot、1786年10月17日 - 1868年3月15日)はフランスの画家である。パリのエコール・デ・ボザールで多くの画家を育てた。
略歴
パリで生まれた。エコール・デ・ボザールで、フランソワ=アンドレ・ヴァンサン(François-André Vincent: 1746-1816)やジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)に学んだ。1811年に有望な学生に贈られるローマ賞の2位を受賞し、1813年に名誉賞を受賞し、ローマへの奨学金を得た。在ローマ・フランス・アカデミーで学び、パリに戻った後、1819年にサロン・ド・パリに代表作のひとつ「アモルとプシュケ」 を出展し、同じ年にパリのサン・セヴラン教会に壁画"La Mort de Saphire"を描いた。サロン・ド・パリには1839年まで出展した。
サン・ヴァンサン・ド・ポール教会やサン・ドニ・デュ・サン・サクルマン教会、ルーブル美術館などの装飾画も描いた。1836年に美術アカデミーの会員に選ばれた。エコール・デ・ボザールで多くの学生を育てた。
1832年にレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した。1868年にパリで死去した。遺体はペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。
作品
- 「アモルとプシュケ」
- 「サン・ドニ・デュ・サン・サクルマン教会の壁画」
- 「オダリスク」
- 「アデライド・ソフィー・クレールの肖像」
- 「彫刻家ニコラ・ピエール・ティオリエールの肖像」
- 「洗礼」
-
ピコに学んだ学生
ピコに学んだ学生には以下のような画家がいる。
- ヴィクトール・モテ (1809-1897)
- ヨハン・ヨンキント (1819-1891)
- アレクサンドル・カバネル (1823-1889)
- ギュスターヴ・モロー (1826-1898)
- フェリックス・オーギュスト・クレマン (1826-1888)
- アンドレ=アンリ・ダルジェラ (1828-1906)
- ジャン=ジャック・エンネル (1829-1905)
- ジャン=フェルディナン・シェニョー (1830-1906)
- エドゥアール・ブランドン (1831-1897)
- テオドール・アマン (1831-1891)
- アルフォンス・ド・ヌヴィル (1835-1885)
- エリュー・ヴェッダー (1836-1923)
- エティエンヌ=プロスペル・ベルン=ベルクール (1838-1910)
参考文献
- Dictionnaire Bénézit
- Paul Bauer, Deux siècles d'histoire au Père Lachaise, Mémoire et Documents, 2006 (ISBN 978-2914611480)
- Jules Moiroux, Le cimetière du Père Lachaise, Paris, S. Mercadier, 1908