フリッツ・ペッツォルト
フリッツ・ペッツォルト Fritz Petzholdt | |
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ヴィルヘルム・ベンズによる肖像画 | |
誕生日 | 1805年1月1日 |
出生地 | デンマーク、コペンハーゲン |
死没年 | 1838年8月29日 |
死没地 | ギリシャ、パトラ |
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フリッツ・ペッツォルトまたはエルンスト・クリスチャン・ペッツォルト(Fritz Petzholdt または Ernst Christian Frederik Petzholdt、1805年1月1日 - 1838年8月29日)はデンマークの画家である。
略歴
コペンハーゲンの裕福な商人の息子に生まれた。1824年からデンマーク王立美術院で、「デンマーク黄金時代」と呼ばれる時代の中心的な画家、クリストファー・エカスベアに学んだ。1827年から1828年に肖像画を出展し、賞を得るが風景画家の道を選んだ。1829年に描いた絵はデンマーク王立絵画コレクション(後のDanish National Gallery)に買い上げられた[1]。
デンマークの画家は王立美術院の展覧会で金賞を受賞し、奨学金を得て海外へ留学することが多いが、豊かな実家の資産が私費で海外へ旅することを許した。ドイツのハルツ山地へ旅した後、1830年にイタリアのローマへの旅を行った。ドレスデン、プラハ、ニュルンベルク、ミュンヘン、ヴェネツィア、フィレンツェを旅してローマに至り、彫刻家のベルテル・トーヴァルセンを中心とするローマを訪れていた多くのデンマーク芸術家のサークルのなかで過ごし、ローマの近郊の各地やナポリ、シシリーやギリシャのケルキラ島にも旅した[2]。
1835年から1836年の冬に父親の病気のために、コペンハーゲンに戻り、父親が亡くなり、葬儀のしばらく後に再びイタリアに旅した。その後、あまりデンマーク人に訪れなかったギリシャに渡った[2]。1838年8月にパトラスのホテルで喉が切られた死体で発見された。自殺であったか殺人事件であったかは判明していない。33歳であった。
作品
- 「カプリ島の海岸」
- Raffael's studio in Villa Borghese's garden. Rome
- Høsterkøbの風景
- イタリアの風景
- ウェイイの風景(1835)
- イタリアの少年
- 山の眺め(1829/1830)
- (1832)
参考文献
- ^ “Fritz Patxholdt”. Gyldendal. 2010年8月15日閲覧。
- ^ a b “Fritz Patxholdt”. Weilbachs kunstnerleksikon. 2010年8月15日閲覧。