ヘンク・フレイザー
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ADOデン・ハーグでのフレイザー(2012年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 | Hendrikus Fraser | |||||
ラテン文字 | Henk Fraser | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オランダ スリナム | |||||
生年月日 | (1966-07-07) 1966年7月7日(58歳) | |||||
出身地 | パラマリボ | |||||
身長 | 181cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
ユース | ||||||
1974-1982 | RFCロッテルダム(オランダ語版) | |||||
1982-1984 | スパルタ・ロッテルダム | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1984-1986 | スパルタ・ロッテルダム | 12 | (0) | |||
1986-1988 | ユトレヒト | 58 | (12) | |||
1988-1990 | ローダ | 58 | (6) | |||
1990-1999 | フェイエノールト | 138 | (15) | |||
代表歴 | ||||||
1987-1988 | オランダ U-21 | 3 | (0) | |||
1989-1992 | オランダ | 6 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1999-2007 | フェイエノールト (ユース) | |||||
2008-2009 | ADO (アシスタント) | |||||
2009-2011 | PSV (ユース) | |||||
2011-2014 | ADO (アシスタント) | |||||
2012-2014 | オランダ U-21 (アシスタント) | |||||
2014-2016 | ADO | |||||
2016-2018 | フィテッセ | |||||
2018-2022 | スパルタ・ロッテルダム | |||||
2022 | ユトレヒト | |||||
2023- | ヴァールヴァイク | |||||
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ヘンドリクス・"ヘンク"・フレイザー(Hendrikus "Henk" Fraser、1966年7月7日 - )[1]は、スリナム・パラマリボ出身の元オランダ代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。
クラブ歴
スパルタ・ロッテルダムでプロデビューしたが、レギュラーを勝ち取ることができず、1986年にはFCユトレヒト、1988年にはローダJCに移籍した。ここでの活躍が認められ、1990年に強豪フェイエノールトに加入した。
フレイザー加入前のフェイエノールトは非常に不安定だった。前シーズンを11位でフィニッシュし、改革を迫られたフェイエノールトは1990年にフレイザーの他にも、アーノルド・スコルテンやエト・デ・フーイ、ヨアン・サバウ(オランダ語版)らを獲得した。フェイエノールトでの初年度はフレイザーにとって厳しいものとなった。12月のKNVBカップ、ヘラクレス・アルメロ戦では一発退場を、その試合後のロッカールームでチームメイトと取っ組み合いの喧嘩を起こして手首を骨折。数か月の離脱を余儀なくされた。フェイエノールトでの苦い経験から、シーズン終了後にカールスルーエSCへの移籍が取り沙汰されたが、最終的にはフェイエノールトに残留した。
1992年7月、フェイエノールト新監督に、ユトレヒト時代同僚だったヴィレム・ファン・ハネヘムが就任した。ファン・ハネヘムはフレイザーを高く評価し、フレイザーを守備的MFのレギュラーに据えた。シーズン終盤は怪我で離脱したものの、フェイエノールトは10シーズンぶりのリーグ優勝を成し遂げた。その後は高いパフォーマンスを発揮したものの、気性の粗さからくるカードの多さや、負傷癖などがついて回り、フルシーズンを戦うことができず、1998年3月に現役を引退した。
代表歴
オランダ代表として6試合に出場している。代表デビューは1989年9月6日のデンマーク代表戦。
1990年、1990 FIFAワールドカップを戦うオランダ代表に選出された。しかし、控え選手としての招集だったため、本大会ではグループリーグ最終節のアイルランド代表戦しか出場していない。
個人成績
選手成績
クラブ | シーズン | リーグ戦 | ||
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ディヴィジョン | 試合 | 得点 | ||
スパルタ・ロッテルダム | 1984-1985 | エールディヴィジ | 8 | 0 |
1985-1986 | 4 | 0 | ||
クラブ通算 | 12 | 0 | ||
ユトレヒト | 1986-1987 | エールディヴィジ | 30 | 10 |
1987-1988 | 28 | 2 | ||
クラブ通算 | 58 | 12 | ||
ローダ | 1988-1989 | エールディヴィジ | 31 | 3 |
1989-1990 | 27 | 3 | ||
クラブ通算 | 58 | 6 | ||
フェイエノールト | 1990-1991 | エールディヴィジ | 23 | 2 |
1991-1992 | 26 | 6 | ||
1992-1993 | 20 | 4 | ||
1993-1994 | 19 | 0 | ||
1994-1995 | 17 | 0 | ||
1995-1996 | 1 | 0 | ||
1996-1997 | 25 | 3 | ||
1997-1998 | 7 | 0 | ||
1998-1999 | 0 | 0 | ||
クラブ通算 | 138 | 15 | ||
キャリア通算 | 286 | 37 |
監督成績
- 2022年4月22日現在
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
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試合 | 勝 | 分 | 負 | 得点 | 失点 | 得失点 | 勝率 % | |||
ADOデン・ハーグ[2] | 2014年2月5日 | 2016年6月13日 | 7001820000000000000♠82 | 7001250000000000000♠25 | 7001300000000000000♠30 | 7001270000000000000♠27 | 7002117000000000000♠117 | 7002120000000000000♠120 | −3 | 07001304900000000000♠30.49 |
フィテッセ[3] | 2016年6月13日 | 2018年4月11日 | 7001780000000000000♠78 | 7001330000000000000♠33 | 7001190000000000000♠19 | 7001260000000000000♠26 | 7002124000000000000♠124 | 7001960000000000000♠96 | +28 | 07001423100000000000♠42.31 |
スパルタ・ロッテルダム[4] | 2018年7月1日 | 2022年4月24日 | 7002139000000000000♠139 | 7001510000000000000♠51 | 7001370000000000000♠37 | 7001510000000000000♠51 | 7002205000000000000♠205 | 7002198000000000000♠198 | +7 | 07001366900000000000♠36.69 |
合計 | 7002299000000000000♠299 | 7002109000000000000♠109 | 7001860000000000000♠86 | 7002104000000000000♠104 | 7002446000000000000♠446 | 7002414000000000000♠414 | +32 | 07001364500000000000♠36.45 |
タイトル
選手
- フェイエノールト
- エールディヴィジ : 2回 (1992-93, 1998-99)
- KNVBカップ : 4回 (1990-91, 1991-92, 1993-94, 1994-95)
- ヨハン・クライフ・スハール : 1回 (1991)
監督
- フィテッセ
- KNVBカップ : 1回 (2016-17)
脚注
外部リンク
- ヘンク・フレーザー - National-Football-Teams.com (英語)
- ヘンク・フレーザー - FootballDatabase.eu (英語)
- ヘンク・フレーザー - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- ヘンク・フレーザー - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- ヘンク・フレーザー - FIFA主催大会成績 (英語)
RKCヴァールヴァイク - 現所属メンバー | |
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