ヤズィード2世
ヤズィード2世 يزيد بن عبد الملك | |
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ウマイヤ朝カリフ | |
在位 | 720年2月10日 - 724年1月26日 |
出生 | 687年 |
死去 | 724年1月26日 |
子女 | ワリード2世 |
家名 | ウマイヤ家 |
王朝 | ウマイヤ朝 |
父親 | アブドゥルマリク |
母親 | アーティカ・ビント・ヤズィード |
宗教 | イスラム教スンナ派 |
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ヤズィード2世(687年 - 724年1月26日)は、ウマイヤ朝の第9代カリフ(在位:720年2月10日 - 724年1月26日)。本名はヤズィード・ビン・アブゥルマリク(يزيد بن عبد الملك)。
生涯
父は第5代カリフのアブドゥルマリク。母はアーティカ・ビント・ヤズィード。彼が即位した頃のウマイヤ朝では外圧の存在や宗教争い、ウマイヤ家内部の抗争などが要因で没落の一途にあった。彼は即位すると人頭税を復活させたため、ベルベル人マワーリーらの反乱を招き、この反乱で北アフリカの総督を殺されるという大敗を喫するも、彼らを鎮圧できず、しかも彼らが推す総督を容認するほど無力だったという。
即位からわずか4年目に結核により死去し、弟のヒシャームがカリフを継承した。
血筋
初代カリフムアーウィヤ1世と第2代カリフヤズィード1世の女系子孫にあたる。
ムアーウィヤ1世ーヤズィード1世ーアーティカ(ムアーウィヤ2世の姉妹)ーヤズィード2世
ムアーウィヤ1世の外曾孫、ヤズィード1世の外孫となる。
脚注
参考文献
- アミール・アリ『回教史 A Short History of the Saracens』(1942年、善隣社)
関連項目
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ウマイヤ朝カリフ | |
後ウマイヤ朝アミール | アブド・アッラフマーン1世756-788 / ヒシャーム1世788-796 / ハカム1世796-822 / アブド・アッラフマーン2世822-852 / ムハンマド1世852-886 / ムンジル886-888 / アブド・アッラー888-912 / アブド・アッラフマーン3世912-929 |
後ウマイヤ朝カリフ | アブド・アッラフマーン3世929-961 / ハカム2世961-976 / ヒシャーム2世976-1009 / ムハンマド2世1009 / スライマーン1009-1010 / ムハンマド2世(復位)1010 / ヒシャーム2世(復位)1010-1013 / スライマーン(復位)1013-1016 / アブド・アッラフマーン4世1018 / アブド・アッラフマーン5世1023-1024 / ムハンマド3世1024-1025 / ヒシャーム3世1027-1031 |