ヨハン・ネポムク・フックス
鉱物学者の「ヨハン・ネポムク・フォン・フックス」とは別人です。 |
ヨハン・ネポムク・フックス | |
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基本情報 | |
生誕 | (1842-05-05) 1842年5月5日 |
出身地 | オーストリア帝国シュタイアーマルク州フラウエンタール・アン・デア・ラスニッツ |
死没 | (1899-10-15) 1899年10月15日(57歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
ヨハン・ネポムク・フックス(ドイツ語: Johann Nepomuk Fuchs, 1842年5月5日 シュタイアーマルク州フラウエンタール・アン・デア・ラスニッツ – 1899年10月15日 ニーダーエスターライヒ州バート・フェースラウ)はオーストリアの作曲家・指揮者・音楽教師。弟ロベルト・フックスも作曲家である。
なお、ハイドンの弟子で、エステルハージ家の副楽長をつとめた作曲家ヨハン・ネポムク・フックス(ドイツ語版、1766-1839)は別人。
経歴
プレスブルクやブルノ、ケルン、ハンブルク、ライプツィヒで指揮者を歴任した後、1880年にウィーン宮廷歌劇場の楽長に就任(1894年に副楽長として残留)する。1888年にウィーン音楽院の教員となり、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーらを育成する。1893年より院長も務めた。オペラや劇付随音楽を作曲しており、ヘンデルやグルック、シューベルトのオペラを校訂した。また、旧シューベルト全集の出版の際にはブライトコプフ・ウント・ヘルテル社の顧問も務めた。
脚注
参考文献
- “Obituary: Johann Nepomuk Fuchs”, The Musical Times and Singing Class Circular 40: 768, (1899) .
外部リンク
- Eintrag über Johann Nepomuk Fuchs im Österreich-Lexikon von aeiou