三木仁
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市住之江区 |
生年月日 | (1979-09-13) 1979年9月13日(44歳) |
身長 体重 | 180 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 2001年 ドラフト5巡目 |
初出場 | 2003年10月3日 |
最終出場 | 2003年10月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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三木 仁(みき まさし、1979年9月13日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。兄は同じく元プロ野球選手の三木肇。
来歴・人物
上宮高校ではエース山田真介を擁し、三塁手、三番打者として1997年春の選抜に出場。準決勝に進むが天理高の小南浩史(同大 - 東邦ガス)に抑えられ惜敗。他のチームメイトに遊撃手の渡辺正人がいた。
卒業後は慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは同期の3番・喜多隆志[1]の後、4番打者として2000年、2001年と2度の秋季リーグに優勝。2000年の明治神宮野球大会では中村泰広、山本省吾ら投手陣の好投もあり、決勝で東海大を延長10回の末に降し優勝。4年時には主将を務めた。リーグ通算83試合に出場し、302打数89安打、6本塁打、32打点、打率.295。ベストナイン(三塁手)選出1回。
2002年、大阪近鉄バファローズにドラフト5巡目で入団。入団当初は三塁守備とパワーのある打撃で「ポスト中村紀洋」との声もあった。2003年には一軍に上がり、シーズン最終の2試合に三塁手として先発出場。しかしその後は出場機会に恵まれず、2005年、分配ドラフトによりオリックス・バファローズに移籍。2006年10月5日に戦力外通告を受け、同年限りで引退した。
引退後は父親が経営するアパレル会社への勤務を経て[2]、2010年に起業した[2]。大学同期の喜多が監督を務める興国高校でも指導している[3]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | 近鉄 | 2 | 8 | 8 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .375 | .375 | .500 | .875 |
通算:1年 | 2 | 8 | 8 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .375 | .375 | .500 | .875 |
記録
- 初出場・初先発出場:2003年10月3日、対千葉ロッテマリーンズ28回戦(千葉マリンスタジアム)、6番・三塁手として先発出場
- 初打席・初安打:同上、2回表に清水直行から左前安打
- 初打点:2003年10月7日、対オリックス・ブルーウェーブ28回戦(Yahoo!BBスタジアム)、2回表にマック鈴木から左前適時打
背番号
- 35(2002年 - 2004年)
- 58(2005年 - 2006年)
脚注
[脚注の使い方]
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 三木仁 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)