世界の空軍 AIR FORCE'77

世界の空軍 AIR FORCE'77
ナレーター 小池朝雄
音楽 長戸大幸
製作会社 東映ビデオ
配給 東映洋画
公開 日本の旗1976年11月23日
上映時間 90分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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世界の空軍 AIR FORCE'77』(せかいのくうぐん エアフォース77)は、1976年11月23日に公開された日本のドキュメンタリー映画。製作=東映ビデオ、配給=東映洋画。上映時間=90分。

概要

限りなく性能戦争を続ける世界の空軍で使用される最新鋭戦闘機を中心に、世界各国の軍用機70数機種を実戦場面を交えて紹介する貴重なフィルムを集めたドキュメンタリー映画[1][2]

ナレーション

スタッフ

製作経緯

東映洋画部の鈴木常承部長が[3]1976年2月にロッキード事件が発生した際に、戦闘機フィルムを集めておけば金になるかもしれないと[3]、各飛行機製造会社に打診し、デモンストレーション用フィルムを合計2500万円で買い込んだ[3][4]。日本の次期主力戦闘機選定・FX問題が大詰めに入ったと報道された同年9月6日に、ソビエト連邦軍の最新鋭迎撃戦闘機・ミグ25が日本の領空を侵犯函館市に緊急着陸するミグ25事件が発生、日本国民を震撼させた[2][5][6]。東映洋画が先のデモ用フィルムを確認したところ偶然この中にミグ25の映像が含まれていた[3]1975年東宝東和配給で日本公開されたアメリカ空軍のドキュメンタリー映画『ブルーエンゼル』がヒットしたこともあり[3]、東映洋画はこの映画を参考に便乗商法を思いつき[3]、デモ用フィルムの編集を急ぎ、ミグ25を含む世界各国の最新軍用戦闘機の実戦場面を交えたドキュメンタリー映画を製作[3]。1976年11月23日から、銀座東急東急レックス大阪梅田東映パラス京都松竹座などの東映洋画系劇場で封切った[3][7]。当時の東映作品の製作費は平均5000万円だったため[3]、経済的な興行といえた[3]

4チャンネルステレオ・チャンネルによってサウンドにも力を入れた[4][6]

東映洋画[注 1]、岡田茂東映社長が1972年4月19日に設立した東映の洋画輸入(買い付け)・配給部門で[8][11][12][13]、日ごろから「儲かることは何でもやれ」と岡田にはっぱをかけられていた肝いりセクションであった[11][14]。東映洋画の鈴木常承部長は、岡田社長の腹心の一人で[11][15]、岡田が1977年12月10日に設立した東映セントラルフィルムでも代表を務めた[16]。 

スタッフクレジットに名前を連ねる源田実、河辺和夫、長戸大幸の起用経緯は不明であるが、本作に当時としては最新鋭の各国戦闘機の実戦シーンなどが映っていることから、睨みを効かせるという意味での源田実の招聘かも知れない。源田はFX問題にも関わった"国防のドン"であった。音楽・長戸大幸は本作がプロデビュー作。長戸は当時、フォーライフ・レコードに関わっており[17]、この頃、フォーライフの吉田拓郎が岡田茂東映社長と対談して[18]、フォーライフと東映は提携に発展していることと[注 2]、関係があるのかも知れない。

1982年の『世界の空軍 AIR FORCE'82 ドッグ・ファイト』も配給の東映ユニバース・フィルムは、東映洋画部を細分化して1982年12月1日に発足した洋画の配給会社で[注 3]、本社を東映洋画と同じ東映本社7階に置き、社長は鈴木常承で、構成も河辺和夫のため[26]、本作の続編と見られる[26]

登場する戦闘機、偵察機など

  • グラマン F-14トムキャット
  • グラマン E-2Cホークアイ
  • グラマン A-6イントルーダー
  • ジェネラル・ダイナミクス F-16ファイティング・ファルコン
  • マグダネルダグラス A-4スカイホーク
  • マグダネルダグラス F-15イーグル
  • F-5ノースロップ F-5タイガー
  • ノースロップ YF-17コブラ
  • フェアチャイルド A-10サンダーボルトII
  • ボーイングB-52 ストラトフォートレス
  • ボーイング KC-135ストラトタンカー
  • LTVF-8 クルセイダー
  • LTVA-7 コルセアII
  • ミコヤン ミグ21
  • ミコヤン ミグ23
  • ミコヤン ミグ25フォックスバット
  • ヤコヴレフ Yak-36
  • ツポレフ Tu-22
  • ツポレフ Tu-28
  • スホーイ Su-17/20
  • アントノフ An-12
  • ミャスィーシチェフ M201
  • ホーカー・シドレー ハリアー
  • ダッソー ミラージュF1
  • ダッソー ミラージュIII
  • サーブ 35 ドラケン
  • サーブ 37 ビゲン
  • セペキャット・ジャガー
  • トーネード IDS

評価

  • 航空評論家・田中祥一は「今迄にも個々にこれ等の機体を撮ったフィルムは、いくつかあったが、アメリカ、ソヴィエト、フランス等、西両陣営の最新鋭機が一堂に介した映画は初めてであろう。そのほとんどの画面がAIR TO AIR、つまり飛行中の機体を随伴機から撮影してスクリーンに繰り広げるドキュメンタリーなシーンの数々は、4チャンネルステレオサウンドの音響効果と相まって、世界一の軍用機のエアーショーを観ているかのような趣があり、航空ファンのみならず、一見の価値がある」などと評価している[27]
  • 映画評論家・増淵健は「どうせ寄せ集めのフィルムがまちまちな画調とアングルで羅列されているに違いないと偏見を抱いて試写に観に行った。意外!なかなかの出来である。画像も想像以上にきれいで、米英ソ仏四大国が東映のために特写の労をとったのではないかと錯覚するほど劇映画にもないような凝ったアングルを発見できる。中でも驚いたのはソ連で、航空ファンなら誰でも知っているが、ソ連機の写真は、戦前から修整技術の限りを尽くした見合い写真のような代物や地上からの不鮮明極まるスナップと決まっていて、そうした状態から細部を検索するのが楽しみでさえあった。スホーイ Su-17を列機の翼下から撮ったカットやミャスィーシチェフ M201の夜間発進を望遠で撮ったカットには驚いた。『世界の空軍』では目も綾な映像の上、"動く"のである。小池朝雄のナレーションは、専門用語を多用し、しばしば難解だが、そのことが逆にメタリックな魅力になった。私は大藪春彦の小説がプロットと関係ないメカニズムのこと細かな説明で読ませるのを連想した。ひょっとすると、こちらも作り手の予想外の効果かも知れない」などと評している[28]

脚注

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注釈

  1. ^ 映画本部の中に東映洋画部として設立され[8]、1976年3月1日付けで東映洋画配給部となり[9]、この下部機構として「東映洋画配給部洋画宣伝室」が設置された[9][10]。このセクションを通常東映洋画と呼ぶ[10]。所在地・東映本社7階[10]
  2. ^ 対談の模様は東映の社内誌に掲載された[18]。吉田拓郎の篠島コンサートは東映がフィルムを製作し『吉田拓郎のセイ!ヤング』(文化放送)で生中継された[19]。また、1979年5月22日にフォーライフ・レコードと東映提携で、新しいタイプの音楽映画ニュー・ミュージックムービー(ニューミュージック版スター誕生映画)[20]「ウエストコースト・ウインド」(仮題)という映画を製作すると発表した[20][21][22]。原案・岡本おさみ中岡京平脚本によるラブロマンス物で、1980年春ロサンゼルスロケを行い、東映系で公開するとされた[22][20][21]。主役募集も行ったが[23]、実際に製作されたかは分からない。
  3. ^ 東映洋画が角川映画や「宇宙戦艦ヤマト劇場版」を手掛けるオフィス・アカデミーなどとの仕事が増え[13][24][25]、本来の主業務である洋画配給が疎かになったため[13]、新たに洋画配給を充実させるため設立された会社[13][25][26]。当時の文献には「東映インターナショナル」と記述があるが「東映ユニバース・フィルム」という名称に変更されたものと見られる。

出典

  1. ^ 「グラビア 映画に見る世界各国の最新軍用機 ドキュメント・フィルム『世界の空軍』から」『SCREEN』1977年1月号、近代映画社、86-89頁。 
  2. ^ a b 「カラー特報2 映画『世界の空軍』」『冒険王』1976年12月号、秋田書店、3-4頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j 「ワイドコラム・ルック・るっく 人と事件 ミグ25で一儲けを狙う東映『世界の空軍』の中身」『週刊現代』、講談社、1976年10月7日号、40頁。 
  4. ^ a b 岡田敬三(東映洋画配給部室長)「東映洋画部ー興行に携わる映画人魂」『シナリオ』1979年11月号、日本シナリオ作家協会、161頁。 
  5. ^ NHKアーカイブス ミグ25 函館に強行着陸 - 日本放送協会(NHK)“『ミグ25事件』40年 緊急発進の2分半後、ソ連機は領空侵犯していた 防空の『穴』いまも放置…”. 産経ニュース (産業経済新聞社). (2016年9月6日). オリジナルの2016年9月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160907140541/http://www.sankei.com/politics/news/160906/plt1609060008-n1.html 2018年3月27日閲覧。 
  6. ^ a b 「グラビア マッハ・メカの世界 ーAIR FORCE'77ー 世界の空軍」『キネマ旬報』1976年12月上旬号、キネマ旬報社、68頁。 
  7. ^ 「邦画・洋画番組予定表 11/20~12/10」『キネマ旬報』1976年12月上旬号、キネマ旬報社、201頁。 「邦画・洋画番組予定表 12/20~1/9」『キネマ旬報』1977年1月上旬号、キネマ旬報社、208頁。 
  8. ^ a b 「映画界の動き 東映もポルノに着手」『キネマ旬報』1972年6月上旬号、キネマ旬報社、144頁。 
  9. ^ a b 「映画界の動き」『キネマ旬報』1976年4月上旬号、キネマ旬報社、200頁。 
  10. ^ a b c 岩井リオ「おなじみ洋画会社ご案内 東映洋画」『ロードショー』1983年9月号、集英社、237頁。 
  11. ^ a b c 鈴木常承・福永邦昭・小谷松春雄・野村正昭「"東映洋画部なくしてジャッキーなし!" ジャッキー映画、日本公開の夜明け」『ジャッキー・チェン 成龍讃歌』、辰巳出版、2017年7月20日発行、105-106頁、ISBN 978-4-7778-1754-2。 
  12. ^ 荻昌弘「荻昌弘ジャンボ対談(26) 東映社長岡田茂氏 '76年洋画界の地図を大きくかえる東映・岡田社長の野心と情熱ー B・リー A・ドロンで洋画界に殴り込み!」『ロードショー』1976年3月号、集英社、196-199頁。 
  13. ^ a b c d 高橋英一・西沢正史・脇田巧彦・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル」『キネマ旬報』1981年11月上旬号、キネマ旬報社、176頁。 
  14. ^ 「ニュースメーカーズ 球団を手放した東映が次に狙う戦略」『週刊ポスト』、小学館、1973年3月2日号、42頁。 「ニュースメーカーズ "西アフリカの旱ばつ"を映画化する東映の真意」『週刊ポスト』、小学館、1973年7月6日号、199頁。 「映画・トピック・ジャーナル」『キネマ旬報』1975年5月下旬号、キネマ旬報社、162-163頁。 「映画・トピック・ジャーナル」『キネマ旬報』1982年12月上旬号、キネマ旬報社、168頁。 
  15. ^ 「東映社長岡田茂さん」『財界』、財界研究所、1979年8月14日号、4頁。 「トップのゴルフ情報 "口撃"で相手を打ち負かす東映・岡田一家の熱戦」『経済界』、経済界、1991年4月23日号、99頁。 
  16. ^ 【初回生産限定】遊戯シリーズ Blu-ray BOX 特集 | 東映ビデオ株式会社山口剛・黒澤満・伊地智啓丸山昇一「しねまあるちざんVol.13 番外編」『バラエティ』1982年2月号、角川書店、50頁。 西沢正史「東映セントラルフィルム研究 東映セントラルフィルムの意味するもの」『キネマ旬報』1978年12月号、キネマ旬報社、91-93頁。 
  17. ^ 宝泉薫「“Jポップの父” ビーイング/長戸大幸の闘い」『別冊宝島1474 音楽誌が書かないJポップ批評50 ZARD&アーリー90'sグラフィティ』、宝島社、2007年、116-119頁、ISBN 978-4-7966-5946-8。 
  18. ^ a b 山城新伍『一言いうたろか 新伍の日本映画大改造』広済堂出版、1993年、49-51頁。 
  19. ^ 「決定版'79全国サマーコンサート情報」『週刊明星』、集英社、1979年7月22日号、173頁。 
  20. ^ a b c 「今月の新作紹介&トピックス」『ロードショー』1979年10月号、集英社、237頁。 
  21. ^ a b 「邦画界トピックス」『ロードショー』1979年8月号、集英社、247頁。 
  22. ^ a b 「シナリオメモランダム」『シナリオ』1979年8月号、日本シナリオ作家協会、106頁。 
  23. ^ “フリータイムス千葉 No.65 1979年10月号” (PDF). 株式会社FTプラニングハウス. p. 9. 2018年3月22日閲覧。
  24. ^ 高橋英一・西沢正史・脇田巧彦・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル」『キネマ旬報』1980年9月上旬号、キネマ旬報社、166頁。 
  25. ^ a b 「ヘラルド映画と東映がついに"減量経営"」『週刊読売』、読売新聞社、1981年11月22日号、33頁。 
  26. ^ a b c 「映画界の動き」『キネマ旬報』1982年1月下旬号、キネマ旬報社、184頁。 
  27. ^ 田中祥一「グラビア 映画に見る世界各国の最新軍用機 ドキュメント・フィルム『世界の空軍』から 世界の軍用機の現状」『SCREEN』1977年1月号、近代映画社、87-88頁。 
  28. ^ 「日本映画批評」『キネマ旬報』1977年1月上旬号、キネマ旬報社、158–159頁。 

外部リンク

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