佐橋五十雄
佐橋 五十雄(さはし いそお、1946年12月[1] - )は、日本の実業家、馬主。ぬいぐるみの卸売などを手がける株式会社アバンティーなどの代表取締役社長を務めた[1]ほか、オグリキャップの2代目馬主として知られた。愛知県名古屋市出身[1]。
経歴
1946年、愛知県出身[1]。東邦高等学校卒業後、東京都で親族の営む装飾品店に勤め、航空会社に転職したのち1972年に名古屋市中川区にて事業を興す[1]。1976年10月に株式会社武蔵野を設立し社長に就任、1979年11月には同社名を株式会社ジャルダン武蔵野に改める[1]。その後一度社長を辞任するが1985年5月に同社を継承しミックスジャム株式会社を設立[1]、10月には株式会社アバンティーファイブ(88年5月より株式会社アバンティー)を設立した[1]。
不祥事
1986年2月26日、株式会社ジャルダン武蔵野が「スヌーピー」の人形の模造品を販売し意匠権を侵害したことに関して、名古屋地方裁判所によって原告のユナイテッド・フィーチャー・シンジケート・インコーポレッドへ411万円の賠償金の支払いを命じられた[2]。また、1989年2月には脱税による執行猶予付きの有罪判決を受けている[3]。
馬主活動
日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録していた馬主としても知られる。勝負服の柄は「青、白菱山形、赤袖」、次いで「青、黄菱山形、赤袖(上記画像)」、後に「赤、黄玉霰、青袖黄二本輪」。冠名は特に用いなかった。
JRAの顕彰馬であるオグリキャップを一時所有していたことでも知られる。同馬を中央競馬に移籍させるにあたって、佐橋は当時JRAの馬主資格を取得していなかった前馬主・小栗孝一から2000万円で同馬を譲り受けた[3]。笠松競馬場所属時のオグリキャップの調教師であった鷲見昌勇によれば、佐橋は毎日朝の調教後に厩舎を訪れ、売却を催促してきたという[4]。鷲見は2億円で交渉に応じるとしたが、同馬の中央での可能性を信じた小栗によって2000万円で話がつくこととなった[4]。こうしてオグリキャップは1988年の間、佐橋の所有馬として有馬記念など重賞7勝を挙げた。しかし、のちに佐橋は先述した脱税による実刑判決のため馬主資格を喪失[3]。オグリキャップの馬主は近藤俊典に変更となり、引退まで近藤の名義で走り続けることとなった[3]。
なお、オグリキャップ以外の所有馬の多くも他の馬主から名義変更された馬となっている。
主な所有馬
斜字は地方重賞。
GI級競走優勝馬
- オグリキャップ(1988年ペガサスステークス、毎日杯、京都4歳特別、ニュージーランドトロフィー、高松宮杯、毎日王冠、有馬記念、天皇賞・秋2着、ジャパンカップ3着)
- インテリパワー(1999年サンタアニタトロフィー、浦和記念、2000年川崎記念、マイルグランプリ、2001年金盃、川崎記念3着、帝王賞3着、2002年金盃、ダイオライト記念、かしわ記念2着、帝王賞3着)
重賞競走優勝馬
- トキノオリエント(1988年中日新聞杯)
- 中央競馬移籍時に、(有)三松商事より佐橋に名義変更、4戦後近藤俊典の名義変更されさらに中央で1戦、その後笠松競馬に移籍し小栗孝一の所有となる[6]。
- ヨシノキング(1995年東京記念)
- 1993年のサラブレッドチャレンジカップなどを制し、1994年東海クラウンより渋澤良久から佐橋に名義変更、その後1997年9月に高知競馬へ移籍し弘田博明の所有となる[7]。
- プレザント(1995年関東盃、1996年桐花賞)
- 1993年の東京ダービーなどを制し、1995年ダイオライト記念より北條傳三から佐橋に名義変更、引退まで佐橋の名義で走り続けた[8]。
- スペクタクル(1996年アフター5スター賞)
- ホウエイコスモス(1996年東海菊花賞、1997年オールカマー3着、1998年京都金杯3着、1999年旭岳賞、2000年ステイヤーズカップ)
- シゲノキューティー(2000年TVK盃)
- ウツミダンスダンス(2000年ゴールデンティアラ賞)
- シュウタイセイ(2001年サマーカップ、サマーチャンピオン3着)
- フジノテンビー(2001年ユニコーンステークス2着、2002年報知オールスターカップ)
- 大橋清助名義時に2000年のデイリー杯3歳ステークスを笠松競馬所属馬として優勝し、2001年スプリングステークスより所属は地方のまま大橋清助から佐橋に名義変更、引退まで佐橋の名義で走り続けた[14]。
- ナイキゴールド(2003年白銀争覇、2004年マーチカップ)
- ブルーベリー(2008年ジュニアクラウン)
- 以上までの馬とは異なり、デビューから引退まで佐橋の所有であった[16]。
その他の所有馬
参考文献
- 信用交換所総合事業部『全国繊維企業要覧』1990 東日本篇(信用交換所大阪本社、1989年9月)
- 著作権判例研究会『最新著作権関係判例集 Ⅴ』(ぎょうせい、1988年4月)
脚注
出典
- ^ a b c d e f g h 『全国繊維企業要覧』1990 東日本篇 アの部 756頁
- ^ 著作権判例研究会『最新著作権関係判例集 Ⅴ』429-435頁
- ^ a b c d “【平成物語13】希代のアイドルホースが“伝説”になった~オグリキャップのラストラン”. デイリースポーツ (2019年4月4日). 2024年3月18日閲覧。
- ^ a b “「夜のネオンはVサイン」~オグリキャップ元調教師の鷲見昌勇さんに聞く(2)”. 岐阜新聞web. 岐阜新聞社 (2023年8月4日). 2024年3月18日閲覧。
- ^ “競走成績 | インテリパワー”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “競走成績 | トキノオリエント”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “競走成績 | ヨシノキング”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “競走成績 | プレザント”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “競走成績 | スペクタクル”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “競走成績 | ホウエイコスモス”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “競走成績 | シゲノキューティー”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “競走成績 | ウツミダンスダンス”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “競走成績 | シュウタイセイ”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “競走成績 | フジノテンビー”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “競走成績 | ナイキゴールド”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “競走成績 | ブルーベリー”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。
- ^ “競走成績 | ダイゴウソウル”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2024年3月19日閲覧。