僻派
僻派(へきは、벽파)は、朝鮮正祖期の老論派の中の強硬派、および保守派である[1]。
貞純王后やシム・ファンジン、ホン・イナン、チョン・フギョムなどが僻派の中心であった。
英祖の治世(1724~1776)と、1800~1805年ごろには絶対的な権力を持っていたが、その後はほぼ壊滅した。
脚注
- ^ 目からウロコの逆さま世界史 [信頼性要検証]
外部リンク
- 橋本増吉 (1938). 物語東洋史: 朝鮮. 第11巻. 雄山閣. p. 204. https://books.google.co.jp/books?id=aNBZk3tSqH8C&pg=PP248 2023年2月17日閲覧。
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