国鉄6100形蒸気機関車
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3e/JGR-6100SL112.jpg/240px-JGR-6100SL112.jpg)
6100形は、かつて日本国有鉄道の前身である鉄道院・鉄道省に在籍したテンダ式蒸気機関車である。
概要
元は、山陽鉄道が1903年(明治36年)から1905年(明治38年)にかけて、自社兵庫工場で8両[1]を製造した車軸配置4-4-0(2B)、2気筒単式の飽和式テンダ機関車である。山陽鉄道での形式は1903年製の4両が17形、番号は108 - 111、1904年(明治37年)および1905年製の4両が25形、番号は118, 119, 123, 124である。
本形式は、アメリカのスケネクタディ社で製造された16形(後の鉄道院6120形)の模倣により製造されたもので、煙突の形状以外に大きな差異はない。また、形式が17形と25形に分かれたのは、重量と炭水車の形状が異なるためであった。また、118は1906年に34形(番号不変)に改められたが、シリンダ周りの改造が行われたためである。
1906年(明治39年)、山陽鉄道は国有化されたが、しばらくは山陽鉄道時代の形式番号で使用された。その後、1909年(明治42年)には鉄道院の車両形式称号規程が制定され、17形、25形、34形のいずれも6100形(6100 - 6107)に改められた。新旧番号対照については、次のとおりである。
- 118, 108 - 111, 117, 123, 124 → 6100 - 6107
国有化後は、山陽本線西部の広島・三田尻間を主体に使用され、一部は人吉、豊岡に配属された。晩年は6両が関西本線に集められており、1922年(大正11年)7月に廃車となった。九州に転属していた2両については1923年(大正13年)1月に廃車となり、消滅した。
主要諸元
6104 - 6107の諸元を示す。
- 全長 : 14,345mm
- 全高 : 3,707mm
- 全幅 : 2,540mm
- 軌間 : 1,067mm
- 車軸配置 : 4-4-0(2B)
- 動輪直径 : 1,524mm
- 弁装置 : スチーブンソン式アメリカ型
- シリンダー(直径×行程) : 381mm×610mm
- ボイラー圧力 : 12.7kg/cm2
- 火格子面積 : 1.46m2
- 全伝熱面積 : 97.6m2
- 煙管蒸発伝熱面積 : 89.5m2
- 火室蒸発伝熱面積 : 8.2m2
- ボイラー水容量 : 4.0m3
- 小煙管(直径×長サ×数) : 44.5mm×3270mm×196本
- 機関車運転整備重量 : 36.09t
- 機関車空車重量 : 32.02t
- 機関車動輪上重量(運転整備時) : 24.69t
- 機関車動輪軸重(第1動輪上) : 12.85t
- 炭水車重量(運転整備) : 23.01t
- 炭水車重量(空車) : 11.73t
- 水タンク容量 : 9.08m3
- 燃料積載量 : 2.84t
- 機関車性能
- シリンダ引張力(0.85P) : 7,120kg
- ブレーキ装置:手ブレーキ、真空ブレーキ
脚注
参考文献
- 臼井茂信「国鉄蒸気機関車小史」1956年、鉄道図書刊行会刊
- 臼井茂信「日本蒸気機関車形式図集成」1969年、誠文堂新光社刊
- 臼井茂信「機関車の系譜図 1」1972年、交友社刊
- 金田茂裕「形式別 日本の蒸気機関車 III」エリエイ出版部刊
- 金田茂裕「日本蒸気機関車史 私設鉄道編 I」エリエイ出版部刊
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形式称号設定以前 | |
タンク機関車 | 1形 (700) ・ 2形 (500) ・ 6形 (3300) ・ 9形 (850) ・ 10形 (950) ・ 11形 (1010) ・ 15形 (1020) ・ 21形 (200) ・ 23形 (3300) ・ 24形 (3400) ・ 28形 (3380) ・ 29形 (60) ・ 30形 (1200) ・ 31形 (1230) ・ 32形 (3360) ・ 35形 (3700) |
テンダー機関車 | 3形 (5300) ・ 4形 (5400) ・ 5形 (8450) ・ 7形 (8350) ・ 8形 (5060) ・ 12形 (5900) ・ 13形 (5950) ・ 14形 (8400) ・ 16形 (6120) ・ 17形 (6100) ・ 18形 (5480) ・ 19形 (5050) ・ 20形 (8380) ・ 22形 (8250) ・ 25形 (6100) ・ 26形 (5200) ・ 27形 (8500) ・ 33形 (6050) ・ 34形 (6100) |