多摩川浅間神社
浅間神社 | |
---|---|
| |
所在地 | 東京都大田区田園調布1-55-12[1] |
位置 | 北緯35度35分14.5秒 東経139度40分7.1秒 / 北緯35.587361度 東経139.668639度 / 35.587361; 139.668639 (多摩川浅間神社)座標: 北緯35度35分14.5秒 東経139度40分7.1秒 / 北緯35.587361度 東経139.668639度 / 35.587361; 139.668639 (多摩川浅間神社) |
主祭神 | 木花咲耶姫命[1] |
社格等 | 村社 |
創建 | 鎌倉時代文治年間[2] |
本殿の様式 | 浅間造 |
別名 | 多摩川浅間神社 |
例祭 | 6月1日[1] |
地図 | 浅間神社 |
テンプレートを表示 |
多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)は東京都大田区田園調布にある神社。旧・下沼部村(田園調布の南半分)の鎮守。登記上の宗教法人名称は浅間神社(せんげんじんじゃ)。
概要
全国にある浅間神社の一社。本殿の建築様式は浅間造であり、これは東京都内では唯一[2]。社殿は浅間神社古墳の上に建てられており、間に東急東横線を挟んで多摩川台公園の舌状台地に連なる。社殿までの参道は多数の溶岩が置かれ、富士塚のように富士登山を模している。
富士山本宮浅間大社同様に、木花咲耶姫命を主祭神とし、熊野神社と赤城神社を合祀している。
歴史
社地は古代に前方後円墳が築かれていた場所であり、本殿の場所が、後円部にあたる。
創建は鎌倉時代の文治年間(1185年~1190年)と伝えられる[2]。
源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来た。その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際に亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったのが、この神社の起こりとされている。[2]
その後、1652年(承応元年)5月に浅間神社表坂の土止め工事をしていた時に、九合目辺りから正観世音の立像が発掘された。多摩川で泥を洗い流すと片足が欠けていたため、新たに足を鋳造して祀り、6月1日に神事を行ったという。これにならい、現在も6月に例祭を行っている。[2]
1907年(明治40年)に『一村に一神社』という合祀のための政令が出されたため、当時の東京府荏原郡調布村大字下沼部にあった赤城神社、熊野神社、浅間神社の三社のうち前二社を当社に合祀する[2]。
境内
摂末社
- 阿夫利神社
- 三峯神社
- 稲荷神社
- 小御嶽神社
富士講
境内には、富士講中興の祖である食行身禄の石碑がある[2]。明治15年に地元の講社が33回目の登山を記念して建てたものである。この石碑の字を書いたのは勝海舟である[2]。
氏子地域
- 大田区田園調布一丁目(64番除く)、二~三丁目
- 大田区田園調布本町
- 大田区田園調布南(7番を除く)
- 大田区西嶺町(1・2・5・6・26・30~32番)
- 大田区鵜の木三丁目(3・4・19・20番)
- 世田谷区玉川田園調布一丁目(1~14番)
アクセス
脚注
- ^ a b c d 東京都神社庁.
- ^ a b c d e f g h 多摩川浅間神社公式サイト.
参考文献
- “浅間神社【多摩川浅間神社】”. 東京都神社庁. 2020年6月14日閲覧。
関連文献
関連項目
外部リンク
- “多摩川浅間神社”. 2020年6月14日閲覧。
| ||
---|---|---|
基礎 | ||
資料 | ||
神社 | ||
祭祀と祭礼 | ||
関連用語 | ||
|
- 表示
- 編集