大久保美智男
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 宮城県塩竈市 |
生年月日 | (1960-07-29) 1960年7月29日(64歳) |
身長 体重 | 183 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手、外野手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト2位 |
初出場 | 1980年9月7日 |
最終出場 | 1980年10月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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大久保 美智男(おおくぼ みちお、1960年7月29日 - )は、宮城県[1]塩竈市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。右投右打。
来歴・人物
仙台育英高では、エースとして1977年から2年連続で夏の甲子園に出場。1977年の大会では、1回戦で高知高に敗退[2]。1978年の大会は、1回戦で高松商業高の河地良一(西濃運輸)を相手に延長17回を投げ切り1-0でサヨナラ勝ち、予選からの公式戦通算39回連続無失点の記録を樹立する[1]。3回戦に進むが、高知商業高の森浩二に抑えられ敗退[2]。
1978年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け入団[1]。期待の戦力として背番号「1」を背負う。
プロ2年目の1980年に、中継ぎで一軍初登板を含む6試合に登板する。同年9月20日、対読売ジャイアンツ16回戦で王貞治が866本目の本塁打を打った投手として知られる。翌年以降は一軍での登板機会がなく、1983年より外野手に転向し、背番号も変更となる。しかし、野手としての一軍出場はないまま1985年限りで現役を引退[1]。
現在は会社員の傍ら、東北ベースボールアカデミー講師を務めるなど地元で野球講師として活動中。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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1980 | 広島 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 37 | 10.0 | 8 | 1 | 1 | 0 | 1 | 8 | 0 | 0 | 4 | 4 | 3.60 | 0.90 |
通算:1年 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 37 | 10.0 | 8 | 1 | 1 | 0 | 1 | 8 | 0 | 0 | 4 | 4 | 3.60 | 0.90 |
記録
- 初登板:1980年9月7日、対阪神タイガース19回戦(広島市民球場)、7回表から3番手で救援登板、2回無失点
背番号
- 1 (1979年 - 1982年)
- 38 (1983年 - 1985年)
脚注
- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、99ページ
- ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 大久保美智男 - NPB.jp 日本野球機構