大靖政権
- 大靖政権
- 大靖政權
-
← 1897年 - 1899年 → -
首都 嘉義東堡 - 皇帝
-
1897年1月 - 1899年3月 黄国鎮 - 変遷
-
樹立 1897年1月 解散 1899年3月
通貨 台湾銀行券 時間帯 UTC +8 現在 中華民国
大靖政権(たいせいせいけん、繁体字中国語: 大靖政權)とは日本の台湾統治時代初期における台湾抗日運動において、黄国鎮(嘉義郡大埔庄出身)が1897年に台湾に樹立した軍事政権である。
概要
台湾の歴史 | |
---|---|
台湾史年表 | |
先史時代 オランダ統治時代 (1624-1662) 鄭氏政権 (1662-1683) 清朝統治時代 (1683-1895) 台湾民主国 (1895) 日本統治時代 (1895-1945) 中華民国統治時代 (1945-現在) | |
政治史 経済史 建築史 (十大土木史蹟 - 百大建設) 文化史 社会史 教育史 メディア史 軍事史 交通史 中台関係 | |
台北の歴史 高雄の歴史 | |
台湾古跡一覧 遺跡 | |
参考 | |
中国の歴史 中華民国の歴史 | |
その他台湾に関する記事 | |
文化 - 経済 - 地理 政治 - 教育 - 軍事 人口 - 言語 - 交通 | |
テンプレートを表示 |
1897年1月から1898年11月25日まで、台湾の抗日勢力の一派だった黄国鎮が、嘉義東堡の山中に籠もって軍事政権を樹立した。そして自らを皇帝と称し、私年号である大靖(台湾の歴史において、2024年現在台湾独自で制定された最後の年号)を制定した[1]。その後、黄国鎮は台湾総督府に対し綏撫政策として、以下の3つの条件を突きつけた。
- 父親である黄响を大埔庄の長に就かせること。
- 毎月320円(当時の日本円のレート)を支給すること。40の軍事部があるので、1つの軍事部に付き毎月8円の支給がある。
- 大埔庄を防衛している日本軍を直ちに撤退させること[2]。
台湾総督府の事務嘱託だった白井新太郎が3つの条件を全て呑んだため、黄国鎮は政権を閉じ、1899年3月に嘉義東堡の山を下りた[3]。