市川右團次
市川 右團次(いちかわ うだんじ)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は髙嶋屋。定紋は松皮菱に鬼蔦(まつかわびしに おにづた)、替紋は三升に右(みますに みぎ)だが、代々の右團次は主に替紋の方を使うことが多い。
初めて右團次を名乗ったのは後の三代目澤村源之助だが、代々には数えない。初代はケレンを得意とし、初代實川延若・中村宗十郎と共に「延宗右」と呼ばれて上方劇壇の中心となった。二代目も上方で初代中村鴈治郎に次ぐ役者として大成が期待されたが早世した。その後81年の歳月を経た平成29年(2017年)に大阪出身の初代市川右近が三代目を襲名した。
- (市川右團次 = 三代目澤村源之助)
- 五代目澤村宗十郎の弟、1804–63。七代目市川團十郎の門人。
- 初代澤村清子 → 市川右團次 → 初代市川清十郎 → 三代目澤村源之助(紀伊國屋)
- 二代目 市川右團次
- 初代の長男、1881–1936。
- 初代市川右之助 → 二代目市川右團次
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