恵隠
恵隠(えおん、生没年不詳)は、飛鳥時代の学僧。俗姓は志賀漢人(しがのあやひと)。
経歴
近江国(滋賀県)滋賀郡の漢人で、記録に現れるのは、推古天皇16年(608年)9月、隋使裴世清を送る遣隋使として小野妹子が再任されるが、倭漢福因・高向玄理・旻・南淵請安らとともに、これに同行し、大陸へ渡っていることである[1]。31年に及ぶ長い滞在ののち、舒明天皇11年(639年)9月、新羅の送使に従ってのちに十師の一人になる恵雲とともに帰国し、入京する[2]。翌年5月、盛大な斎会が開かれ、招請されて無量寿経を講義している[3]。
大化の改新時の白雉3年(652年)にも内裏に招かれ、1,000人の沙門(僧侶)の前でふたたび無量寿経を説いている。質問者は十師の一人とされる恵資であった[4]。論議は6日間つづいた、という[5]。
脚注
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参考文献
- 『コンサイス日本人名辞典 改訂新版』p199(三省堂、1993年)* 『日本書紀』(四)、岩波文庫、1995年
- 『日本古代氏族人名辞典』坂本太郎・平野邦雄監修、吉川弘文館、1990年
- 『日本書紀』(四)、岩波文庫、1995年
- 『日本書紀』全現代語訳(下)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年
- 『日本の歴史2 古代国家の成立』、直木孝次郎:著、中央公論社、1965年
- 『日本の古代3 海をこえての交流』、大林太良:編、中公文庫、1995年
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