昭懿皇后

昭懿皇后
後唐の追封皇后

死去 同光2年(924年
配偶者 明宗
子女 李従栄、閔帝
父親 夏氏
テンプレートを表示

昭懿皇后(しょういこうごう、? - 924年)は、五代十国時代後唐の明宗李嗣源の側室(即位前没)。皇后を追贈された。姓は夏氏

生涯

初め、李嗣源に側室として嫁いだ。夫への尽くし方が良くないとして、李嗣源に殴られた。方士の周元豹は「この女性は藩侯夫人の位号があり、富貴な息子が必ず生まれる」と言った。

夏氏は男子を2人産んだ。同光2年(924年)、病死した。明宗が即位すると、晋国夫人を追贈した。長興元年(930年)、2人の親王の母であることを考慮し、皇后が追贈され、「昭懿」のを贈られた。

男子

伝記資料

五代の皇后
後梁

元貞張皇后* / 張皇后(朱友珪)

後唐

神閔劉皇后 / 和武曹皇后 / 昭懿夏皇后* / 孔皇后 / 宣憲魏皇后* / 劉皇后(末帝)

後晋

李皇后(高祖)* / 馮皇后(少帝)

後漢

李皇后(高祖)

後周

聖穆柴皇后* / 貞恵劉皇后* / 宣懿符皇后 / 宣慈符皇后

*:追尊皇后・皇太后