服部慎吾
服部 慎吾(はっとり しんご、1913年 - 1995年)は、元アメリカンフットボール選手。戦後にアメリカンフットボールの復興に尽力し、日本アメリカンフットボール協会理事長を務めた[1][2]。日本アメリカンフットボール殿堂顕彰者[1]。
人物・経歴
立教大学予科を経て、1935年に立教大学に入学。予科在学中からアメリカンフットボールを始め、アメリカンフットボール部のセンターとして活躍。1939年、立教大学卒業[1]。
終戦後、関東地区のフットボールの復興に戦前からの仲間とともに尽力。戦後再来日したポール・ラッシュとともに、チームの復興を進め、グラウンドの手配や防具の準備など、運営の中心人物として活躍する[1]。
1948年、日本アメリカンフットボール協会の再建に努力し、戦後初の理事長に就任。以降、5年間、理事長としてフットボールの復興と発展に貢献した[1][3]。
また、戦前、戦後の日本のアメリカンフットボールの記録を収集、整理し、活動の記録として纏めた[1][4]。
2004年1月、第1回日本アメリカンフットボール殿堂顕彰者となる[1][5]。
脚注
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