木村利右衛門
木村利右衛門(きむら りえもん、天保5年11月8日(1834年12月8日) - 大正8年(1919年)8月20日)は日本の実業家。
略歴
明治大正期の貿易商。上総国(千葉県)望陀郡の豪農松崎儀兵衛の4男。生日には異説がある。養子として鈴木家、次いで木村家を継ぐ。岳父東作、養嗣子理左衛門。明治2(1869年)上京、4年横浜に移り、仲屋横浜店を開き繊維品取引で引取商としての地位を築く。
1880年(明治13年)横浜正金銀行(東京銀行)の設立に参画し取締役、1891年(明治24年)には生糸売込業も兼ねた。1892年(明治25年)横浜共同電燈会社(東京電力)、1896年(明治29年)横浜電線製造会社(古河電工)の社長となる。1902年(明治35年)補欠選挙で互選され、同年7月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ[1][2]、翌年6月18日まで在任[3]。
横浜貿易商のなかでは一家言を持つ重鎮であった。著書に漢詩集『寧静詩鈔』がある。享年85。
脚注
参考文献
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 朝日新聞出版(株)『朝日日本歴史人物事典』
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 内海孝「幕末維新期の引取商の出自と背景」(『横浜開港資料館紀要』1号)
外部リンク
- 横浜開港資料館より
- 木村利右衛門人事興信録第4版、1915年
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