木村吉二郎

木村 吉二郎
Kimura Kichijiro
基礎情報
行司名 木村 吉二郎
本名 にしの まさひろ
 西野 昌宏
生年月日 (1977-12-10) 1977年12月10日(46歳)
出身 日本の旗 日本東京都荒川区
所属部屋 放駒部屋芝田山部屋
データ
現在の階級 十両格行司
最高位 十両格行司
初土俵 1993年5月場所
備考
2015年11月18日現在
テンプレート  ■プロジェクト 相撲

木村 吉二郎(きむら きちじろう、1977年12月10日 - )は、大相撲十両行司である。本名は西野 昌宏(にしの まさひろ)。放駒部屋芝田山部屋所属。血液型A型

人物

東京都荒川区出身。父は渥美二郎の専属司会者を務めており、その影響で幼少期より普通のサラリーマン生活より誰も経験できないような職に就きたいと考えていた[1]。その父と当時放駒部屋の師匠だった17代放駒(元大関・魁傑)が知り合いだったことから、父に「行司になれ」と言われ、いつの間にか担任とも話がついており知らぬ間に放駒部屋入門が決まったという[2]

中学校卒業後の1993年5月場所、15歳で初土俵。初土俵から名乗る行司名「吉二郎」は、父親の名と渥美の名に由来する[1]。同期には木村勘九郎がいる。幕下格だった2007年に30代木村庄之助の長女と結婚した[1]2013年1月場所後、放駒部屋が17代放駒の停年(定年)退職に伴って閉鎖されたため、同じ一門の芝田山部屋に転属した[3]2014年1月場所から十両格に昇進した[4]

エピソード

  • 荒川区立第七中学校在学中はバスケットボールに励んでいた。
  • 現役行司のなかでもかなりの長身(テレビ中継の実況によると183cm)だが、入門時には160cmほどしかなかった[2]
    • その長身の為、十両格行司に昇進して装束を一新する際に大きい装束が少なく、背の高かった34代式守伊之助や、一門は違うが34代木村庄之助からも装束を譲り受けている。また、軍配は現役時代に付け人を務めた縁で29代木村庄之助から譲り受けた[5]
  • 2007年12月16日の結婚披露宴には、父親の縁で渥美二郎も駆けつけた[2]
  • 入門時の師匠だった17代放駒日本相撲協会の11代目理事長になった時はまったく知らなかったそうで、帰宅してつけたテレビのニュースで知ったらしい。その際「驚いて飲み物をこぼしてしまった」と語っている[2]
  • 幕下格行司の頃は初切を担当しており、琴鳳が相手力士と間違えて四つに組もうとして注意をしたり、巡業先で取組を放棄して飲食をする力士に土俵に戻るよう促しておきながら自身も飲食をし、挙句の果てに飲酒のため土俵の踏み段を踏み外すなどの名演技を見せた。

履歴

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 「新 裏方さん訪問」『大相撲』2008年7月号、読売新聞東京本社、86頁。 
  2. ^ a b c d “木村 吉二郎”. 芝田山部屋. 2023年9月18日閲覧。
  3. ^ 間垣部屋、3月春場所後に閉鎖 師匠定年の放駒部屋力士も移籍へ スポニチアネックス 2013年1月26日(2014年1月28日閲覧)
  4. ^ 「行司も番付社会「十両格」昇進、木村吉二郎 年功序列、遅咲きの36歳 大相撲」『朝日新聞デジタル』(HTML)、(朝日新聞社)2014年1月11日。オリジナルの2015年1月4日時点におけるアーカイブ。2020年8月23日閲覧。
  5. ^ 木村吉二郎が十枚目格に昇格しました 大相撲 芝田山部屋ブログ

外部リンク


  • 表示
  • 編集
現役行司 - 令和六年七月場所
立行司
  • 38代木村庄之助
三役格行司
幕内格行司
  • 12代式守勘太夫
  • 木村元基
  • 木村秋治郎
  • 12代式守錦太夫
  • 3代木村銀治郎
  • 2代木村要之助
  • 6代式守鬼一郎
  • 4代木村朝之助
十両格行司
幕下格行司
  • 木村秀朗
  • 式守一輝
  • 木村悟志
  • 木村猿ノ助
  • 式守友和
  • 式守輝乃典
  • 木村一馬
  • 木村錦太郎
  • 式守正一郎
  • 木村桜乃助
三段目格行司
  • 式守誠輔
  • 式守辰之助
  • 式守海之助
序二段格行司
  • 木村成将
  • 木村勝之介
  • 木村啓太郎
  • 木村龍之助
  • 木村俊太
  • 式守昂明
  • 式守鬼三郎
序ノ口格行司
  • 式守風之助
  • 木村裕之助
師匠
部屋付き親方
力士
三段目
  • 浜田山
  • 錦国
序二段
  • 若肥前
  • 翔傑
  • 高麗の国
  • 龍勢旺
若者頭
行司
  • 木村銀治郎
  • 木村吉二郎
呼出
  • 克之
  • 啓輔
床山