松田紀子 (バレーボール)

曖昧さ回避 この項目では、元バレーボール選手について記述しています。松田紀子の同名の人物については「松田紀子」をご覧ください。
松田 紀子
Noriko Matsuda
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1952-03-05) 1952年3月5日(72歳)
出身地 北海道釧路市
ラテン文字 Noriko Matsuda
身長 169cm
体重 59kg
血液型 O型
選手情報
愛称 マツ
ポジション S
獲得メダル
バレーボール
オリンピック
1976 女子
ワールドカップ
1977 女子
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松田 紀子(まつだ のりこ、1952年3月5日 - )は、日本の元バレーボール選手。北海道釧路市出身。モントリオール五輪で金メダル獲得の原動力となった名セッター。『背中に目がある』、『ネット際の魔術師』などと言われた。

来歴

釧路商業高校を卒業後、日立武蔵に入社。入社当初は目立たない存在で、レギュラーの練習をコートの外で見つめボール拾いをする日々が1年半ほど続いた。『ボール拾いをするために日立に入社したのではありません』と監督の山田重雄に不満をぶつけるとセッター転向を命ぜられ、その後全日本に選出された。

1976年モントリオール五輪に出場し金メダルを獲得。1978年引退して出身地の釧路に戻るが、1983年ダイエーバレー部が創部すると選手に復帰し、3年間で1部リーグ昇格を果たした。1985年引退。

人物・エピソード

  • 永木芳子は松田と同期のセッターで、セッターの基本を教えたり、愚痴を聞いてあげるなど松田を陰で支えていた。松田がモントリオール五輪で金メダルを獲得すると『彼女がいたから私がいる。』と言って、金メダルを半分に切って、五輪のメンバーから外れた永木にメダルの半分をプレゼントした。
  • 1980年代にはテレビ朝日の番組『ビートたけしのスポーツ大将』に、バレーボールコーナーの助っ人として出演、往年のプレーを披露した。

球歴・受賞歴

  • 所属チーム履歴
釧路商業高校日立武蔵/日立(1971-1978年)→ ダイエー(1983-1985年)

著書

外部リンク

  • バレーボール・モントリオール会
  • 日本テレビ - ヒーローが見た夢#77 - ウェイバックマシン(2016年3月6日アーカイブ分)
  • 一般社団法人 日本トップリーグ連携機構(JTL) - バレーボール・松田紀子
 
日本の旗 バレーボール全日本女子
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1976 モントリオール五輪 (新東洋の魔女) 1 1位 オリンピックの旗
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1977 ワールドカップ (新東洋の魔女) 1 1位
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