松田道一
松田 道一(まつだ みちかず[1]、1876年〈明治9年〉3月14日[2] - 1946年〈昭和21年〉1月20日[3])は、日本の外交官。駐イタリア大使、駐オランダ公使。学位は、法学博士。
経歴
判事・弁護士の松田道夫の長男として東京府に生まれる[4]。1900年(明治33年)に東京帝国大学法科大学法律科を卒業し、翌年に高等文官試験に合格し、また判事検事登用試験にも合格して検事となった[4]。1902年(明治35年)、外務省参事官に転じ、翻訳官を経て、ベルギー公使館三等書記官を務めた[4]。1913年(大正2年)、外務省政務局第二課長となり、通商局長事務取扱、条約局長、国際連盟帝国事務局長・フランス大使館参事官を歴任した。1925年(大正14年)、駐オランダ公使となり、翌年に駐イタリア大使に転じた[4]。1930年(昭和5年)より外務書記官・条約局長を務めた[4]。
退官後は宮内省御用掛となった[4]。太平洋戦争中は昭和天皇に定期的に御進講を行い、外交情勢を伝えていたとされる。その他、日伊協会理事長・副会長を務めた。
家族
- 父:松田道夫 - 判事、弁護士
- 妹:ひろ - 那須章弥の妻。那須章弥(1881 - 1934)は東京帝国大学工科大学土木科を卒業し、川崎製鉄の繁栄を支えた土木技術者だったが、1933年に会社と揉めて解職され、翌年拳銃自殺した[5][6]。
- 妻:すて - 長谷川泰の娘[7]
栄典
登場作品
脚注
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- ^ 人事興信録 第14版(下) 1943.
- ^ 人事興信録 第5版 1918.
- ^ 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
- ^ a b c d e f 人事興信録 第11版(下) 1937.
- ^ 那須章弥氏を悼む 工事書報、1934
- ^ 那須章弥 コトバンク
- ^ 松田道一 『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 『官報』第869号「叙任及辞令」1929年11月20日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
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