福光久代
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選手情報 | ||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 福光久代 | |||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||||||||
種目 | 走高跳 | |||||||||||||||||||||||
所属 | 佐賀県立鳥栖高等学校 大昭和製紙 | |||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1960年2月19日 | |||||||||||||||||||||||
生誕地 | 佐賀県東脊振村 | |||||||||||||||||||||||
自己ベスト | ||||||||||||||||||||||||
走高跳 | 1m93 (1981年) | |||||||||||||||||||||||
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福光 久代(ふくみつ ひさよ、本名:森田 久代、1960年2月19日- )は日本の元陸上競技選手。女子走高跳の元日本記録保持者である。佐賀県東脊振村(現・吉野ヶ里町)出身。1984年ロサンゼルスオリンピック女子走高跳日本代表。
略歴
佐賀県立鳥栖高等学校1年生の時に国民体育大会で1学年上の八木たまみを初めて目にし、「雲の上の人」という印象を抱く[1]。高校在学時代の八木には一度も勝てなかったが、目標として練習に励んだ。八木が高校を卒業した後の1977年の全国高等学校総合体育大会に1m78cmの記録で初優勝。
高校卒業後、静岡県の大昭和製紙に入社。1979年のアジア陸上選手権(東京)では銅メダル。1980年の第35回国民体育大会(栃の葉国体)で初めて八木に勝利する。同年10月、八木の持っていた記録を1cm更新する1m91cmの日本新記録を樹立。翌1981年のアジア陸上選手権(東京)では自己記録を更新する1m93cmのアジア新記録で優勝。1982年のニューデリーアジア大会では銀メダルを獲得した。
1984年ロサンゼルスオリンピックに日本代表として出場し、1m87cmで17位(予選落ち)であった。
現役時代、国民体育大会には10回出場し、うち3回が出身地の佐賀県、7回が勤務先のあった静岡県代表だった[2]。
引退後は地元の佐賀県に在住。県の陸上大会で審判を務めたりしている[1]。
成績
日本選手権
3回優勝(1980年、1982年、1984年)
脚注
- ^ a b “青春群像 あのとき私のインターハイ”. 佐賀新聞. (2006年10月17日). オリジナルの2016年4月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160408091416/http://www1.saga-s.co.jp/koremade/sonotanotokusyu/sagasoutai/soutai_top/soutai_shimen/sotai_gunzo.0.221580.article.html
- ^ “<みんなのSAGA2024>開幕まで100日 ロサンゼルス五輪・女子走り高跳び日本代表 森田久代さん「楽しむこと忘れないで」”. 佐賀新聞. (2024年6月27日). https://www.saga-s.co.jp/articles/-/1279651 2024年7月22日閲覧。
日本陸上競技選手権大会 女子走高跳優勝者 | |
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