紀元前196年
世紀 | 前3世紀 - 前2世紀 - 前1世紀 |
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十年紀 | 前210年代 前200年代 前190年代 前180年代 前170年代 |
年 | 前199年 前198年 前197年 紀元前196年 前195年 前194年 前193年 |
紀元前196年(きげんぜん196ねん)は、ローマ暦の年である。ローマ建国紀元558年、ルキウス・フリウス・プルプリオとマルクス・クラウディウス・マルケッルスの年[1]。
他の紀年法
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
できごと
共和政ローマ
- 両コンスル(執政官)はガリア人と戦い、ボイイ族に勝利したマルケッルスは凱旋式を挙行した[1]。
- エトルリアで奴隷の反乱が起った[1]。
- 護民官ガイウス・リキニウス・ルクッルスが、祝宴を担当する三人官の設置を法整備した[2]。
- プロコンスル(前執政官)のティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスは、10人の補佐を受けてピリッポス5世と和平を結び、コリントスで行われたイストミア大祭で、ギリシア人の自由を宣言した[3]。この行為によって、彼は多くのギリシアの都市で救済者として歓迎され、神と同等の尊敬を与えられた。
- フラミニヌスはスパルタ王ナビスを僭主として非難し、ナビスにアルゴスを明け渡させた。
アナトリア
- 共和政ローマの学者、作家であるマルクス・テレンティウス・ウァッロによると、この頃エウメネス2世によってペルガモン王国に図書館が作られた。プトレマイオス5世からパピルスを禁輸し、羊皮紙の発明につながった。
エジプト
- ロゼッタ・ストーンが作られた。これはプトレマイオス朝時代の石碑で、ヒエログリフとデモティックという2種類の古代エジプト文字及び古代ギリシア文字で書かれた。古代ギリシア文字を翻訳することで、碑文はプトレマイオス5世の戴冠式の時の王の命令を記録したものであることが解読された。
中国
誕生
「Category:紀元前196年生」も参照
死去
「Category:紀元前196年没」も参照
脚注
注釈
出典
[脚注の使い方]
参考文献
- T. R. S. Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
関連項目
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