美濃電気軌道BD500形電車(みのでんききどうBD500がたでんしゃ)は、美濃電気軌道(美濃電)が1921年(大正10年)に新製した木造四軸ボギー車。DB500形と呼称されることも少なくないが[2]、当時の資料ではBD500形とされている[3]。1941年(昭和16年)の形式称号改訂で車種記号が「BD500形」から「モ500形」と改称されたが、車番はそのまま踏襲された[4]。
沿革
501 - 504の4両が名古屋電車製作所で新製された、美濃電初の四軸ボギー車である[5]。主要機器はデッカーシステムの系譜に属するイングリッシュ・エレクトリック社製のものを搭載し、2個モーターの直接制御車であった。形式称号のBはボギー車を、Dはデッカー系電装品を表すものである[6]。この形式称号は後に増備されたDB505形(後のモ520形)にも受け継がれている[3]。台車は鍛造のブリル76E-1で、大型ボギー車に相応しく、空気ブレーキ(直通式)も装備していた[1]。側面窓配置はV 4 2 2 4 V(V:乗降デッキ、各数値は側窓の枚数)である[2]。
車体は木造ダブルルーフ構造で、落成当時はオープンデッキ構造であり、集電装置としてポールを搭載していたが、後年の改造によりデッキ部分は改修されて客用扉が新設され、集電装置もビューゲルに換装されている。その後1964年(昭和39年)から1965年(昭和40年)にかけて、外板に鋼板を張り付ける形で簡易鋼体化(ニセスチール車化)が施工された[5]。
当初は鉄道線の笠松線(現・名鉄名古屋本線の名鉄岐阜 - 笠松間)で使用されていたが[7]、1925年(大正14年)9月に軌道線に転属した[8]。軌道線では美濃町線および鏡島線で使用された[6]。
その後、1970年(昭和45年)にモ600形に代替され全車廃車となった[5]。
脚注
[脚注の使い方]
参考文献
書籍
- 日本路面電車同好会名古屋支部『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』トンボ出版、1999年。
- 和久田康雄『日本の市内電車―1895‐1945』成山堂書店、2009年。
- 清水武『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』ネコ・パブリッシング、2010年5月。ISBN 978-4-7770-5285-1。
雑誌記事
- 白井良和「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」『1986年12月臨時増刊号』第473巻、電気車研究会、1986年12月、166 - 176頁。
- 加藤久爾夫・渡辺肇「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第30号、電気車研究会、2015年1月、122 - 165頁。
名古屋鉄道の前身事業者が導入した車両 |
---|
名古屋電気鉄道・ (旧)名古屋鉄道 (-1925年) |
|
(旧)名古屋鉄道(1925年-1930年)・名岐鉄道(1930年-1935年)
尾西鉄道(1925年譲受)・ 美濃電気軌道(1930年合併)・ 長良軽便鉄道(1920年美濃電へ合併)・ 岐北軽便鉄道(1921年美濃電へ合併)・ 各務原鉄道(1933年合併) |
|
愛知電気鉄道(1935年名岐鉄道と合併、名古屋鉄道成立) |
|
瀬戸電気鉄道(1939年合併) |
|
三河鉄道(1941年合併)・ 岡崎電気軌道(1927年三鉄へ合併) |
電車 | |
---|
気動車 | |
---|
客車 | |
---|
電気機関車 | |
---|
蒸気機関車 | |
---|
電動貨車 | |
---|
貨車 | |
---|
事業用車 | |
---|
|
|
渥美電鉄(1940年合併) | |
---|
東美鉄道(1943年合併) | |
---|
竹鼻鉄道(1943年合併) | |
---|
谷汲鉄道(1944年合併) | |
---|
知多鉄道(1943年合併) | |
---|
碧海電気鉄道(1944年合併) | |
---|
|
|
|
名古屋鉄道の 車両 |
---|
|
|
|
|
|
|
1941年改番以降の形式称号を掲載。「引継車」は名岐鉄道および被合併会社から継承した車両。「譲受車」は被合併会社以外から購入・譲受した車両。 |