諏訪大社五重塔

諏訪大社五重塔(すわたいしゃごじゅうのとう)は、かつて現在の長野県諏訪市に所在した、諏訪大社上社神宮寺にあった鎌倉時代五重塔

歴史

  • 延慶元年(1308年)、知久敦信が建したという。総高はおよそ38mと推定される。
    • これより近世まで記録が途絶える。
  • 慶長17年(1612年)藩主諏訪頼水が屋根葺替え修理を行う。
  • 万治3年(1660年)通万が修理を行う。
  • 元禄7年(1694年)春巌が補修を行う。
  • 延享2年(1745年)実山が屋根の葺替え修理を行う。
  • 寛政4年(1792年)藩主の命で東穏が栗板葺きに葺替える。
  • 嘉永7年(1854年)仙巌が屋根葺替え修理を行う。
  • 明治元年(1868年)五重塔が解体される。
    • 部材は保存されたが、放火により焼失したとも、腐朽により失われたともいう。
  • 昭和43年(1968年)五重塔が普賢堂ととも十分の一で制作され諏訪大社に奉納された。これらは新村徳重の発注で四賀上桑原の大工、北原佐吉が製作したもの。

現状

風鐸、実測図等が現存する。

現存しない長野県の信仰塔

  • 文永寺 文永年間(1264年-1274年)頃創建の三重塔が天文23年(1554年)兵火で焼失した。
  • 元隆寺(現菩提院)小管神社の別当寺で永禄9年(1566年)の信濃小菅山元隆寺之図に五重塔が描かれるが現存しない。
  • 清水寺 鎌倉時代末の三重塔が大正5年(1916年)火災で焼失した。
  • 明泉寺 平安時代の三重塔が安土桃山時代に火災で焼失したという。

参考資料

関連資料

  • 長野日報 2015年4月30日付
  • 信濃毎日新聞 2015年5月01日付