長崎市立山里中学校

長崎市立山里中学校
地図北緯32度46分42.7秒 東経129度52分15.2秒 / 北緯32.778528度 東経129.870889度 / 32.778528; 129.870889座標: 北緯32度46分42.7秒 東経129度52分15.2秒 / 北緯32.778528度 東経129.870889度 / 32.778528; 129.870889
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
併合学校 長崎市立江平中学校
設立年月日 1947年昭和22年)4月2日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C142210000188 ウィキデータを編集
所在地 852-8013
長崎県長崎市高尾町4-20
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎市立山里中学校(ながさきしりつやまざとちゅうがっこう、Nagasaki City Yamazato Junior High School)は、長崎県長崎市高尾町にある公立中学校。略称「山中」(やまちゅう)。

概要

歴史
1947年昭和22年)の学制改革により開校した。
信条
  • 「自分を支えるものは自分である」
  • 「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために」
教育目標
「知性と社会性に富み、心豊かで、たくましく生き抜く生徒を育てる」
校章
旧制・瓊浦中学校の帽章を継承し、校地に多かったの葉にペンをあしらい「中」の文字を入れたものである。
校歌
作詞は松熊秀夫、作曲は長岡卯太郎(編曲 - 太田哲)によるもの。最後に校名の「山里中学校」が登場する。
校区
長崎市立山里小学校校区、長崎市立高尾小学校校区、長崎市立坂本小学校校区[1]

沿革

  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 山里国民学校の初等科が改組され、長崎市立山里小学校となる。
    • 山里国民学校の高等科が改組され、新制中学校長崎市立山里中学校」(現校名)となる。当面の間、小学校に併設の形をとる。
    • 長崎県立瓊浦中学校併設中学校(在校生が2・3年生の男子のみ)が併設される。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 併設の長崎県立瓊浦中学校併設中学校が学制改革(六・三・三制の実施)による新制高等学校発足に伴い、「長崎県立瓊浦高等学校併設中学校」に改称。
    • 11月30日 - 長崎市内の公立高等学校の統合・再編[2]により、長崎県立瓊浦高等学校併設中学校との併設を解消。
  • 1952年(昭和27年)7月20日 - 現在地に新校舎が完成し、小学校との併設を解消。
  • 1964年(昭和39年)
  • 1967年(昭和42年)2月18日 - 新体育館が完成。
  • 1988年(昭和63年)- 広島市立翠町中学校[3]と平和交流会を開始。
  • 1992年(平成4年)- 第22回全日本中学校バレーボール選手権大会(女子)で優勝
  • 2014年(平成26年)- 映画「くちびるに歌を」に当時の本校女子生徒達が下記の夏服姿でNHK全国学校音楽コンクール長崎県大会参加校のうちの一校という設定でエキストラとして映画終盤のシーンに参加。翌年2015年(平成27年)公開となった。
  • 2016年(平成28年)- 第64回全日本吹奏楽コンクール全国大会で金賞受賞。
  • 2018年(平成30年)- 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で本校生徒が献水を担当[4]
  • 2021年(令和3年)3月31日 - 長崎市立江平中学校を統合[5]
  • 2022年(令和4年)- 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で本校生徒が献水を担当。

学校行事

  • 体育大会は春(5月)に行われている。
  • 2学期には2年生の職場体験と修学旅行が実施されている。
  • 3学期には3年生が平和活動の一環として原爆を題材にした劇を行う。

部活動

運動部
文化部
同好会

制服

将来予定されている制服について

  • 令和6年入学生から導入
  • 山里中学校制服検討委員会(第2回)によるとブレザー型(現在の女子制服のグレーのイメージを継承)となる方向である。
  • 現在の在校生の新制服の着用、現在の制服の吊りスカートのサスペンダーを廃止して新型スカートと見た目を揃えるかは言及されていない。

著名な出身者

 ・櫻井心那 ‐ プロゴルファー

アクセス

最寄りの電停
最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 長崎市立小・中学校校区 一覧(PDF) - 長崎市教育委員会ウェブサイト
  2. ^ 男子校であった長崎県立長崎高等学校(旧・長崎県立長崎中学校)・長崎県立瓊浦高等学校(旧・長崎県立瓊浦中学校)と女子校であった長崎県立長崎女子高等学校(旧・長崎県立長崎高等女学校)・長崎市立女子高等学校(旧・長崎市立高等女学校)の計4校が統合され、長崎県立長崎東高等学校長崎県立長崎西高等学校の2校が開校した。当時は西山(現長崎市立上長崎小学校の隣)に長崎東高等学校が、鳴滝(現長崎県立鳴滝高等学校)に長崎西高等学校が設置された。4校の併設中学校は「長崎県立長崎東・西高等学校併設中学校」として、桜馬場(現長崎市立桜馬場中学校)1ヶ所にまとめられた。
  3. ^ みどりまち
  4. ^ 「平和の泉」亡くなった被爆者の方々にきれいな水を - 長崎新聞ウェブサイト
  5. ^ 長崎市立小中学校の学校規模の適正化と適正配置について「統合が決定した学校を紹介します」 - 長崎市ウェブサイト

参考文献

関連事項

外部リンク

  • 長崎市立山里中学校
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