関忠志

曖昧さ回避 この項目では、元ボートレーサーについて記述しています。社会教育活動家の同名の人物については「関忠志 (社会教育活動家)」をご覧ください。
関忠志
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県
生年月日 (1950-11-18) 1950年11月18日(73歳)
身長 167cm
体重 50kg
血液型 B型
選手情報
所属 岡山支部
登録番号 2380
登録期 28期
特徴
選手実績
デビュー日 1969年
選手引退日 2017年2月1日
記念優勝   8 回
SG優勝   1 回
GI/PGI優勝   7 回
GII優勝   0 回
GIII優勝   0 回
一般戦優勝  73 回
通算優勝  81 回
通算勝率  
通算勝利 通算9,741走、2,530勝
主要獲得タイトル
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関 忠志(せき ただし、1950年11月18日 - )は、岡山県出身の元ボートレーサー

来歴

1969年にデビューし、同期には淺香登新開文夫らがいる。

艇界屈指の『インファイター』[1]、かつてはイン奪取率が7割近い『イン屋』[2]で、どんなに深い位置からでもスタートを決められるのが武器[3]であり、厳しいコース取りからのイン逃げを得意としていた。晩年は時代の流れからインまで取り切れることは3割前後[2]と減ったが、その分2コース率が上がり55.7%、インと2コースで85%を超えた[2]

1994年8月30日に地元児島で開催された第40回モーターボート記念競走でデビュー25年1ヶ月目でのSG初制覇を飾る[2]

2004年10月6日には一般「第1回倉田栄一杯争奪安濃津賞」で高山秀則林貢と共に優出し[4]、初代覇者[5]となる。

2005年6月12日平和島一般「ビクトリーチャンネルカップ」[6]で全24場優勝を果たし、2014年3月14日にはBOAT RACE振興会より会長賞が授与された[7]

2008年6月8日蒲郡一般「競艇マクールカップ」が最後の優勝となった[8]

2015年5月19日三国一般「さつき第1戦」で西島義則田村隆信と共に優出するが、最後の優出(1号艇1コース進入3着)[9]となった。同年8月28日大村一般「チケットショップ長崎佐々開設記念レース」最終日7R[10]を逃げ切り、9436走目で史上23人目の通算2500勝を達成[11]

2017年1月14日浜名湖一般「サンケイスポーツ杯」初日6Rが最後の勝利(3号艇1コース進入から逃げ切り)[12]同28日徳山一般「マンスリーBOATRACE杯争奪戦」最終日7R(6号艇1コース進入で3着)[13]が最後の出走となり、同年2月1日限りで現役を引退。

引退後の同年、ボートレース殿堂マイスター入りを果たす[1]

獲得タイトル

  • 1994年 - 第40回モーターボート記念競走(児島)

脚注

  1. ^ a b 2380 関 忠志 (岡山)
  2. ^ a b c d イン屋・関忠志の現在
  3. ^ 大物の引退が相次いだ2017年
  4. ^ 2004年10月6日 津 12R | 艇国データバンク
  5. ^ マスターズの舞台 津のマスターズ|BOAT RACE OFFICIAL WEB SITE
  6. ^ 2005年6月12日 平和島 12R | 艇国データバンク
  7. ^ 全24ボートレース場 優勝達成選手の表彰について - BOAT RACE OFFICIAL WEB
  8. ^ 2008年6月8日 蒲郡 12R | 艇国データバンク
  9. ^ 2015年5月19日 三国 12R | 艇国データバンク
  10. ^ 2015年8月28日 大村 7R | 艇国データバンク
  11. ^ 関忠志 史上23人目の通算2500勝達成
  12. ^ 2017年1月14日 浜名湖 6R | 艇国データバンク
  13. ^ 2017年1月28日 徳山 7R | 艇国データバンク

関連項目

1950年代
  • 55 真島勝義 (ハイドロ) ・豊島勝 (ランナー)
  • 56 鈴木成彦
  • 57 貴田宏一
  • 58 前田道積 (ハイドロ) ・山岡貫太 (ランナー)
  • 59 上原茂 (ハイドロ) ・松本稔 (ランナー)
1960年代
  • 60 井上一二郎
  • 61 松尾泰宏
  • 62 芹田信吉
  • 63 金藤一二三 (ハイドロ)倉田栄一 (ランナー)
  • 64 倉田栄一
  • 65 芹田信吉
  • 66 金子安雄
  • 67 竹内淳麿
  • 68 中止
  • 69 岡本義則
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代