1972年のロッテオリオンズでは、1972年のロッテオリオンズの動向についてまとめる。
この年のロッテオリオンズは、大沢啓二監督の2年目(途中就任の前年を含む)のシーズンである。また、東京スタジアムを本拠地とした最後のシーズンでもある。
概要
前年7月より監督に就任しロッテ快進撃がきっかけとなって、当時では異例の「5年契約」を結んだ大沢啓二監督は「打つだけでは阪急や巨人には勝てない」とアルト・ロペス・榎本喜八・江藤慎一を放出し外山義明・村上公康・野村収をもらい受け、小山正明・木樽正明・成田文男の3投手を軸とした5年ぶりの「守りの野球」をかかげたが、投手陣に故障者が続出。また打線もロペスら放出の影響で前年とはうって変わって小粒になってしまい、最終的に5位と低迷。大沢監督は「5年契約」を破棄されて解任、国鉄・巨人で活躍した400勝投手の金田正一が後任となる。オフに西日本鉄道の球界撤退を受けた中村長芳オーナーは、西鉄ライオンズの球団譲渡先の紹介を担当したが見つからず、最終的に自ら「福岡野球株式会社」を設立して西鉄ライオンズを買収することになり、そのためロッテオーナーを辞職した。さらにショッキングな出来事が起きた。中村長芳に代わってオーナーに就任した重光武雄(ロッテ社長)は、11月2日に本拠地・東京スタジアムの経営者である小佐野賢治(国際興業社主)に来年の使用を交渉するも小佐野は「15億円の累積赤字」を理由に球場閉鎖を重光オーナーに通告、11月22日に東京スタジアムは正式断念、10年の幕を降ろした。そしてオリオンズは準本拠地として宮城球場を選ぶも、全国に広がる本拠地を渡り歩かざるを得ない状態になり、ここから1977年まで5年間に渡る「ジプシー・ロッテ」が始まる。
チーム成績
レギュラーシーズン
1972年パシフィック・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 |
1位 | 南海 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- |
2位 | 阪急 | 0.5 | 南海 | 3.0 | 南海 | 7.0 | 南海 | 6.5 | 南海 | 13.0 | 南海 | 13.0 | 近鉄 | 14.0 |
3位 | 近鉄 | 1.5 | 東映 | 4.5 | 東映 | 8.5 | 東映 | 11.5 | 東映 | 16.0 | 東映 | 15.0 | 南海 | 14.0 |
4位 | ロッテ | 2.0 | 近鉄 | 7.5 | ロッテ | 8.5 | ロッテ | 12.5 | ロッテ | 17.0 | 近鉄 | 東映 | 15.0 |
5位 | 東映 | 3.0 | ロッテ | 8.5 | 近鉄 | 14.5 | 近鉄 | 13.5 | 近鉄 | 20.5 | ロッテ | 16.0 | ロッテ | 20.5 |
6位 | 西鉄 | 5.0 | 西鉄 | 12.5 | 西鉄 | 20.5 | 西鉄 | 22.0 | 西鉄 | 26.5 | 西鉄 | 31.0 | 西鉄 | 32.5 |
オールスターゲーム1972
詳細は「1972年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
選手・スタッフ
ロッテオリオンズ 1972 |
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監督 | |
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コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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表彰選手
ドラフト
詳細は「1972年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
[脚注の使い方]
注釈
出典
- ^ “年度別成績 1972年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月19日閲覧。
- ^ “千葉ロッテマリーンズ公式HP 歴代所属選手”. 千葉ロッテマリーンズ. 2017年5月19日閲覧。
各年の千葉ロッテマリーンズ |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1958年開幕直前に大映ユニオンズと球団合併 |
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