上頓別駅

上頓別駅
上頓別駅駅舎(ホーム側から撮影)
(1989年3月)
かみとんべつ
Kami-Tombetsu
小頓別 (5.0 km)
(2.6* km) 恵野
所在地 北海道枝幸郡中頓別町字上頓別
北緯44度51分5秒 東経142度16分35秒 / 北緯44.85139度 東経142.27639度 / 44.85139; 142.27639
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 20.6 km(音威子府起点)
電報略号 ミト
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1916年大正5年)10月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 天北線廃線に伴い廃駅
*キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
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1977年の上頓別駅と周囲約500m範囲。左が中頓別方面。既に無人化されて駅舎ホーム側に棒線化されているが、かつては相対式ホーム2面2線と駅舎右側に貨物ホームと引込み線、駅裏に副本線をもつ一般駅であった。ストックヤードは貨物ホーム側が良く使用されていたようである。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

上頓別駅(かみとんべつえき)は、かつて北海道宗谷支庁枝幸郡中頓別町字上頓別に設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線廃駅)である。電報略号はミト事務管理コードは▲121903[2]

歴史

  • 1916年(大正5年)10月1日 - 鉄道院宗谷線小頓別駅 - 中頓別駅間の延伸開通に伴い、開業[1]一般駅[1]
  • 1919年(大正8年)10月20日 - 路線名を宗谷本線に改称し、それに伴い同線の駅となる。
  • 1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から削除し路線名を北見線に改称し、それに伴い同線の駅となる。
  • 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 路線名が天北線に改称され、それに伴い同線の駅となる。
  • 1973年(昭和48年)9月17日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止[3]。同時に無人駅化され[4]、列車交換設備も撤去。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]
  • 1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]

駅名の由来

「頓別」の由来については「頓別川」を参照

頓別川の上流域にあることから「上」を冠した[5][6]

駅構造

廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の北側(南稚内方面に向かって右手側)に存在した[7]分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては2面2線の相対式ホームを有する列車交換可能な交換駅で、原木の集散駅であった。

無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北側に位置し、ホームに接していた。

駅周辺

小さな集落がある。

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1921年(大正10年) 17 [9]
1935年(昭和10年) 25
1953年(昭和28年) 50
1978年(昭和53年) 20 [10]

駅跡

1997年(平成9年)時点では駅舎とホーム、駅名標がそっくり残存しており、駅舎はかなり痛んではいたものの、ライダーハウスに再利用されていた[11]。だが老朽化が激しく、2002年(平成14年)8月以降に撤去され[12]、2011年(平成23年)時点では更地になっていた[12]

隣の駅

北海道旅客鉄道
天北線
小頓別駅 - 上頓別駅 - 恵野駅

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、905頁。ISBN 978-4-533-02980-6。 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236。https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  3. ^ “日本国有鉄道公示第148号”. 官報. (1972年9月14日) 
  4. ^ 「通報 ●天北線上音威子府駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1973年9月14日、4面。
  5. ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、84頁。NDLJP:1029473。 
  6. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、186頁。ASIN B000J9RBUY。 
  7. ^ a b 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)188ページより。
  8. ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)16ページより。
  9. ^ 中頓別町史 平成9年5月発行 P397/8,855
  10. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、893頁。doi:10.11501/12065814。https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  11. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くIV』(JTBパブリッシング1997年12月発行)25ページより。
  12. ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)243ページより。

関連項目

北海道旅客鉄道 天北線(廃線)

音威子府 - (臨)上音威子府 - *(仮)天北栄 - 小頓別 - 上頓別 - 恵野 - 敏音知 - 周磨 - 松音知 - 上駒 - 中頓別 - 寿 - 新弥生 - 下頓別 - 常盤 - 浜頓別 - *(仮)北頓別 - 山軽 - 安別 - 飛行場前 - 浅茅野 - 猿払 - 芦野 - 鬼志別 - 小石 - 曲淵 - 沼川 - 樺岡 - 恵北 - *(臨)東声問 - 声問 - 宇遠内 - 南稚内
*打消線は廃止前に廃駅