1970年の中日ドラゴンズでは、1970年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、水原茂監督の2年目のシーズンである。
概要
前年限りで板東英二・田中勉・権藤博が現役引退、そして江藤慎一がトレードを拒否して引退するなど、多数の選手が引退した中日は、新たに谷沢健一が入団、そしてジム・バビエリ(バビー)とジョン・ミラーの2外国人を獲得した。だが、この時期球界や世間を騒がせた「黒い霧事件」は中日とて例外ではなかった。4月には前年引退の田中が逮捕され、5月には小川健太郎も八百長オートで逮捕、6月に永久追放処分に課せられた。チームは黒い霧事件の影響をモロに受けた5月以降は2度と浮上せず、最終的にこの年の夏場に18連敗して貧打にあえいだヤクルトに22ゲームも離したが、終わってみれば借金は2ケタで前年より1位下がった5位、挙げ句の果てに10月22日には、巨人の6連覇を本拠地・中日スタヂアムで見せられるという屈辱を味わった。投手陣は田中の引退、小川の逮捕もあり頼れる投手が2年目の星野仙一、ルーキーの渋谷幸春、近鉄から移籍の田辺修だけで、チーム防御率3.21は5位。打撃陣もロッテに移籍した江藤の穴を木俣達彦やミラーがカバーしてチーム本塁打はリーグ2位を記録するも、前年から20本以上も低下した。5位転落の一方で谷沢が低打率ながらもまずまずの成績で新人王を獲得するなど、明るい話題もあった。マッチレースの巨人や阪神には8勝17敗1分、9勝16敗1分で大きく負け越し両球団のアシスト役となったが、4位の広島に13勝12敗1分と勝ち越した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1970年セントラル・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 |
1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 広島 | 0.5 | 阪神 | 0.5 | 広島 | 5.5 | 大洋 | 5.5 | 阪神 | 3.5 | 阪神 | 3.0 | 阪神 | 2.0 |
3位 | 阪神 | 2.0 | 広島 | 2.0 | 大洋 | 6.0 | 阪神 | 6.0 | 大洋 | 6.0 | 大洋 | 4.5 | 大洋 | 10.0 |
4位 | ヤクルト | 3.0 | 大洋 | 5.5 | 阪神 | 7.0 | 広島 | 8.0 | 広島 | 10.0 | 広島 | 10.5 | 広島 | 15.0 |
5位 | 中日 | 3.0 | 中日 | 6.5 | 中日 | 11.5 | 中日 | 16.5 | 中日 | 14.5 | 中日 | 19.0 | 中日 | 23.5 |
6位 | 大洋 | 3.5 | ヤクルト | 9.5 | ヤクルト | 15.0 | ヤクルト | 21.0 | ヤクルト | 29.0 | ヤクルト | 35.0 | ヤクルト | 45.5 |
オールスターゲーム1970
詳細は「1970年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
選手・スタッフ
中日ドラゴンズ 1970 |
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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表彰選手
リーグ・リーダー |
選手名 | タイトル |
谷沢健一 | 新人王 |
ベストナイン |
選手名 | ポジション | 回数 |
木俣達彦 | 捕手 | 2年連続2度目 |
中暁生 | 外野手 | 3年ぶり5度目 |
ドラフト
詳細は「1970年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
- ^ “年度別成績 1970年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月12日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
各年の中日ドラゴンズ |
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |
| この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。 |