1979年の中日ドラゴンズ(1979ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1979年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、中利夫監督の2年目のシーズンである。
概要
5位で終わったチームの再構築を図るべく、外国人をボビー・ジョーンズとウェイン・ギャレットに一新。投手陣では2年目の小松辰雄が鈴木孝政とともに抑えを任され、また高橋三千丈や土屋正勝、都裕次郎などの若手投手が一挙に台頭したシーズンとなった。打撃陣でも3年目の宇野勝が前年までのレギュラーだった正岡真二から遊撃のポジションを奪取。田尾安志が2番に座り、4番の大島康徳も36本塁打を放ってチーム三冠王となるなど、明るい話題が続いた。中監督2年目のチームは前年初優勝&日本一のヤクルトが最下位だったこともあり、5球団の団子レースを抜け出して前半戦は首位で終了。このまま優勝が期待されたが、後半戦以降はBクラスに転落。10月初めからの8連勝で借金生活から抜け出し、阪神とのAクラス争いに勝って3位で終えた。投手陣ではエースの星野仙一・三沢淳が例年通りの成績を収めたほか、1977年のドラフト1位の藤沢公也がこの年入団して新人王を獲得してチーム防御率3.97はリーグ3位。打撃陣でも両外国人や高木守道・木俣達彦の両ベテランがまずまずの成績をあげてチーム本塁打リーグ3位の155本を記録したほか、ルーキーの川又米利も代打の切り札として一軍に定着した。カード別成績ではBクラスの阪神・巨人・ヤクルトに勝ち越したものの優勝の広島には歯が立たず、8勝14敗4分と負け越した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1979年セントラル・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 |
1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 中日 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- |
2位 | 大洋 | 0.5 | 中日 | 3.0 | 中日 | 0.5 | 広島 | 2.5 | 阪神 | 4.5 | 阪神 | 10.0 | 大洋 | 6.0 |
3位 | 阪神 | 1.0 | 大洋 | 大洋 | 1.0 | 大洋 | 3.5 | 中日 | 4.5 | 大洋 | 10.5 | 中日 | 7.5 |
4位 | 中日 | 1.5 | 広島 | 4.5 | 広島 | 2.0 | 阪神 | 3.5 | 巨人 | 5.0 | 巨人 | 12.0 | 阪神 | 8.0 |
5位 | 広島 | 3.5 | ヤクルト | 4.5 | 阪神 | 4.0 | 巨人 | 3.5 | 大洋 | 5.5 | 中日 | 12.5 | 巨人 | 10.5 |
6位 | ヤクルト | 5.5 | 阪神 | 6.0 | ヤクルト | 7.5 | ヤクルト | 11.0 | ヤクルト | 13.5 | ヤクルト | 18.0 | ヤクルト | 19.0 |
[1]
オールスターゲーム1979
詳細は「1979年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
選手・スタッフ
中日ドラゴンズ 1979 |
---|
監督 | |
---|
一軍コーチ | |
---|
二軍監督・コーチ | |
---|
投手 | |
---|
捕手 | |
---|
内野手 | |
---|
外野手 | |
---|
[2]
表彰選手
リーグ・リーダー |
選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
藤沢公也 | 新人王 | |
最高勝率 | .722 | 初受賞 |
大島康徳 | 最多安打 | 159本 | 初受賞 |
ドラフト
詳細は「1979年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
注釈
出典
- ^ a b “年度別成績 1979年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月13日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
各年の中日ドラゴンズ |
---|
1930年代 | |
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |
| この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。 |