1984年の広島東洋カープ |
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成績 |
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日本一 |
日本S | 4勝3敗(対阪急)[1] |
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セントラル・リーグ優勝 |
75勝45敗10分 勝率.625[2] |
本拠地 |
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都市 | 広島県広島市中区 |
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球場 | 広島市民球場 |
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球団組織 |
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オーナー | 松田耕平 |
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経営母体 | 松田家(マツダ創業者一族) |
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監督 | 古葉竹識 |
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キャッチフレーズ |
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BLAZING BASEBALL |
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1984年の広島東洋カープでは、1984年の広島東洋カープの動向をまとめる。
この年の広島東洋カープは、古葉竹識監督の10年目のシーズンであり、4年ぶり4度目のリーグ優勝と4年ぶり3度目の日本一に輝いたシーズンである。
概要
過去3年間優勝を逃した広島は西武から小林誠二をトレードで獲得して投手陣の強化を図り、また打線もルーキーの小早川毅彦が入団するなど打撃陣も戦力が充実。開幕前は前年優勝の巨人とならんで優勝候補の本命にあげられた。チームは開幕3連戦を2勝1敗で乗り切ると4月8日から球団新記録の12連勝でスタートダッシュに成功。5月以降は調子を上げた中日とのマッチレースとなり、夏場に首位の座を明け渡すものの9月に中日が失速すると首位に返り咲き、10月4日の大洋戦に勝ち4年ぶりの優勝を決めた。勢いに乗るチームは日本シリーズで阪急を4勝3敗で破り4年ぶり日本一に輝いた。阪急とは1975年の日本シリーズで敗退しており、10年振りの雪辱となった。投手陣は3年目の津田恒美が右肩痛や血行障害などで成績を落としたものの、エース・北別府学をはじめ山根和夫、大野豊、川口和久の4本柱でローテを回し、抑えには西武から復帰の小林を配置するなどこの5人でチーム勝利数75の大半を稼ぎ、チーム防御率は打力が売りの中日・巨人をしのいで3.37とリーグ1位だった。中でも山根はシーズンではチーム最多の16勝を上げ、日本シリーズでも活躍した[3]。抑えの小林は55試合登板で規定投球回に到達し、最優秀防御率のタイトルを獲得した[4]。円熟の打撃陣は20年目の衣笠祥雄が初の打率3割超えと打点王を獲得してMVPに輝き、ルーキーの小早川も新人王を獲得。チーム盗塁数が2年連続のリーグ1位と充実した1年となった[5]。
チーム成績
レギュラーシーズン
1984年セントラル・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 |
1位 | 広島 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- | 中日 | -- | 中日 | -- | 広島 | -- |
2位 | 中日 | 5.0 | 中日 | 0.5 | 中日 | 0.5 | 広島 | 1.0 | 広島 | 1.0 | 中日 | 3.0 |
3位 | 阪神 | 6.0 | 阪神 | 5.5 | 巨人 | 9.5 | 巨人 | 9.0 | 巨人 | 9.5 | 巨人 | 8.5 |
4位 | 大洋 | 7.5 | 大洋 | 8.0 | 阪神 | 10.5 | 阪神 | 11.0 | 阪神 | 18.5 | 阪神 | 23.0 |
5位 | 巨人 | 8.5 | 巨人 | 8.0 | 大洋 | 14.5 | 大洋 | 20.0 | ヤクルト | 21.5 | ヤクルト | 25.0 |
6位 | ヤクルト | 9.0 | ヤクルト | 14.0 | ヤクルト | 19.0 | ヤクルト | 22.0 | 大洋 | 24.5 | 大洋 | 30.5 |
[2]
日本シリーズ
1984年 日本シリーズ 日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月13日(土) | 第1戦 | 阪急ブレーブス | 2 - 3 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月14日(日) | 第2戦 | 阪急ブレーブス | 5 - 2 | 広島東洋カープ |
10月15日(月) | 移動日 |
10月16日(火) | 第3戦 | 広島東洋カープ | 8 - 3 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月17日(水) | 第4戦 | 雨天中止 |
10月18日(木) | 広島東洋カープ | 3 - 2 | 阪急ブレーブス |
10月19日(金) | 第5戦 | 広島東洋カープ | 2 - 6 | 阪急ブレーブス |
10月20日(土) | 移動日 |
10月21日(日) | 第6戦 | 阪急ブレーブス | 8 - 3 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月22日(月) | 第7戦 | 阪急ブレーブス | 2 - 7 | 広島東洋カープ |
優勝:広島東洋カープ(4年ぶり3回目) |
[1]
オールスターゲーム1984
詳細は「1984年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
選手・スタッフ
広島東洋カープ 1984 |
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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表彰選手
リーグ・リーダー |
選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
衣笠祥雄 | 最優秀選手 | | 初受賞 |
打点王 | 102打点 | 初受賞 |
小早川毅彦 | 新人王 | |
小林誠二 | 最優秀防御率 | 2.20 | 初受賞 |
ベストナイン |
選手名 | ポジション | 回数 |
山根和夫 | 投手 | 初受賞 |
達川光男 | 捕手 | 初受賞 |
衣笠祥雄 | 三塁手 | 4年ぶり3度目 |
山崎隆造 | 外野手 | 初受賞 |
山本浩二 | 8年連続9度目 |
ダイヤモンドクラブ賞 |
選手名 | ポジション | 回数 |
達川光男 | 捕手 | 初受賞 |
衣笠祥雄 | 三塁手 | 4年ぶり2度目 |
山崎隆造 | 外野手 | 初受賞 |
長嶋清幸 | 2年連続2度目 |
ドラフト
詳細は「1984年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b “1984年度日本シリーズ”. 日本野球機構. 2015年10月23日閲覧。
- ^ a b “年度別成績 1984年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年10月23日閲覧。
- ^ まさに“日本シリーズ男”。1984年、カープを日本一に導いた剛腕・山根和夫 獲得物語|carp|編集部コラム|広島アスリートマガジン
- ^ 日本初の快挙を達成した魔球パームを操る小林誠二、ハワイ生まれの剛腕リリーバー・ケムナ誠【背番号の系譜】|carp|編集部コラム|アスリートマガジンWEB
- ^ 初のGL“盟主決戦”、そして空前の猛虎フィーバー/プロ野球1980年代序章・中編 - 野球:週刊ベースボールONLINE
- ^ 『読売新聞』1984年4月7日付朝刊、14版、17面
- ^ ベースボール・マガジン 1998年夏季号
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
各年の広島東洋カープ |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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| この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。 |